2014.10.12

オシムとチャスラフスカはなぜ親日家になったのか―東京五輪を考える

  • 五十嵐和博●撮影 photo by Igarashi Kazuhiro

10月特集 東京オリンピック 1964の栄光、2020の展望 (2)


長田渚左×木村元彦・対談「チャスラフスカとオシム」(後編)

長田渚左氏(左)と木村元彦氏――長田さんが今回、『桜色の魂 チャスラフスカ()はなぜ日本人を50年も愛したのか』を書いたきっかけを聞かせてください。

※ベラ・チャスラフスカ チェコスロバキア(現在のチェコ)出身の元体操選手。東京五輪(1964年)では女子個人総合など3種目で金メダルを獲得、「東京五輪の名花」と称えられた。続くメキシコ五輪でも4種目で金メダルを獲得している。

長田 木村さんがいらっしゃらなかったら私はこの本を書くことはできなかった。心の中で書きたいと思っていたけど進めないというのを見破られまして。

木村 長田さんが女優の太地喜和子さんのことを書いた『欲望という名の女優』(角川書店)という本が好きで、「もう書かないの?」と聞いた時に、ぽろっとチャスラフスカの名前が出てきたんです。対象としてすばらしいじゃないかと思っていたら、実は継続して取材をしていたというわけです。そこまでしているのに、なぜアプローチしないのかと、葉っぱをかけたというか、「長田さんはサボッてる」発言をしたんですよ。

長田「サボってる」と言われました(笑)。ノンフィクションの仕事というのは、時間とお金をかけて這いつくばって取材をして、そのわりに書いた対象の人にもあまり喜ばれないわ、よくやく出来上がっても大して売れないわと二重苦三重苦で、半分、もうやりたくないなというのがあったんです。ところが「サボってる」と言われたときに、心のどこかに当たったような感じがして、言われてみればその通りだと、ゆさぶられたんです。

木村 この人については、あるいはこのことについてはこの書き手じゃないと、というのがあるんです。チャスラフスカについては、これは長田さんがやらなきゃいけないテーマだと思った。まずひとつは女性であること。太地喜和子さんもそうですが、ベラも採点競技で人に「観られる」人であること。そして長田さんは都知事選のときも安易に政治家に依らず、政治とスポーツをきっちり分けた見方ができる。そういう意味で、25年もベラを追っていたなら、書き上げないといけないと思ったんです。でもそれからはものすごい勢いで取材をされてましたね。

長田 火がついてしまったんです。これに集中するため他のほとんどの仕事をお断りして周囲には迷惑もおかけしました。でも、やらせていただいて良かったと思います。