2014.02.28

【ノルディック複合】銀メダリスト・渡部暁斗が語った
「ようやく自分の翼を広げられる」

  • 折山淑美●文 text by Oriyama Toshimi photo by JMPA

大成するコツは斜に構えた物事の考え方

 長野五輪での日本ジャンプ勢の活躍が刺激になって、小学生の渡部暁斗は「ジャンプ選手になりたい」という思いで競技を始めた。しかし、周囲から「クロスカントリーもやれ」と強制されてノルディック複合の選手になったが、やっているうちに成績が出始めて、高校からは複合に専念。高2でトリノ五輪(2006年)に出場した当時は、ジャンプは飛べるが走りは苦手――という、日本人選手の典型的なタイプだった。

ノルディック複合で日本人選手として20年ぶりに銀メダルを獲得した渡部暁斗 ところが、暁斗が大学2年の2008-2009年シーズンから試合形式がジャンプ1本+距離10キロに変更されて、走りの比重が高くなってしまった。にもかかわらず結果を出し続けられたのは、ケガの功名だったという。

 10代の終わり、成長とともに筋肉がつき、身体の動きも変わった暁斗は、ジャンプが飛べなくなっていた。

「当時はひとつ格下のW杯Bに参戦していたのですが、ジャンプがダメで、クロスカントリーを30~40番手からスタートしていたことが逆に良かったのだと思います。最初から突っ込んで行くしかない状況の中、走りの強い選手が周囲にたくさんいたので、彼らにもまれる経験ができたからこそ、今があると思います」

 早大進学後は、河野孝典・日本代表ヘッドコーチと相談し、「体格が小さいので、効率の良い走りを追求して勝負する」という方向性が定まった。走りの強さや駆け引きのうまさで定評のある小林範仁が代表チームにいたことも、プラスになった。チームの中で徐々に走力を養い、エースの小林に次ぐ2番手として2009年の世界選手権・団体で金メダルを獲得すると、翌年のバンクーバー五輪ではラージヒル個人で9位。団体でも6位入賞に貢献した。

 さらなる飛躍を遂げたのは、2011年の春に北野建設へ就職してからだ。当時は、北野建設に所属するジャンプ選手の竹内択が白馬で行なわれたサマーGPで2戦連続3位になるなど、周囲のジャンプ選手が急激に力をつけてきた時期だった。さらに、横川朝治・日本代表ジャンプチームヘッドコーチからは、新たなジャンプ理論を学んだ。それらひとつひとつが勉強となり、自らのジャンプ技術を磨いていったのだ。