【フィギュアスケート】三原舞依「感謝を新たなスケート人生でお返ししたい」 ラストダンスは「幸せな光景」だった (2ページ目)
【ずっと強いアスリートではなかった】
ーースケートリンクとは? かつてインタビューで彼女に訊いたことがあった。
「笑顔の源かなって。自然と笑顔になれるんです。スケートに出会って、私は本当に幸せで。スケートがあるから、自分らしくいられるんです」
三原は答えていたが、その原点を忘れていない。
「小学2年の時、初めて氷の上に立ったんですけど、とにかく滑るのが楽しくて。すぐに『習ってもいい?』ってお母さんに言いました。陸で歩いたりするのと、氷の上は全然違うんです。こんなに前に進むんだあって。最初は貸し靴で、どんな感じかもわからず、ヘルメットをかぶって。でもバランスは取れていたらしく、すぐにヘルメットを外しました。
両親からは『くるくる回っていたよ』って聞きました。何回かリンクに連れて行ってもらい、教室で(坂本)花織ちゃんがくるくる回る姿を見て、『楽しそう! テレビの(浅田)真央ちゃんと同じ! 自分も滑れるようになりたい』って」
彼女は弾むような声で言っていた。一途な想いが変わらなかったからこそ、ラストダンスでスケートの神様の祝福を受けられたのだろう。彼女がリンクで滑り終えたあとも、熱気の余韻はしばらく残っていた。
「全日本は、小さい頃からテレビで見ていた憧れの舞台でした。初めて全日本に出た時は、11回も出られると思っていなかったんです。私自身、ずっと強いアスリートで毎日トレーニングを積んでどんどんすごくなるというスケート人生ではなくて。
全日本までの練習でも、滑りながら涙したこともありました。頑張るぞってリンクに入っても思うように体が動かない。たくさんのつらい経験もありました。でも、その日々がなかったら、こうやって戻れなかったかなって思うんです」
三原は気丈に言った。何事もポジティブに変換してきた。容姿は可憐だが、アスリートとしての不屈さこそ、彼女を突き動かしてきた。「集中力の天才」とも言われたが、その点で誰よりもファイターだった。
「最後に、皆さんの前で演技できて幸せでした。感謝の思いを、新たなスケート人生のなかでお返ししたいです!」
三原は花が咲くように笑った。
著者プロフィール

小宮良之 (こみやよしゆき)
スポーツライター。1972年生まれ、横浜出身。大学卒業後にバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)、『アンチ・ドロップアウト』(集英社)など。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。パリ五輪ではバレーボールを中心に取材。
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