鍵山優真は予想外の転倒がなければ...全日本で見せたマリニンに迫る可能性
【痛かった冒頭のジャンプ転倒】
鍵山優真(オリエンタルバイオ/中京大)は予想外の滑り出しになってしまった。12月21日、全日本選手権のショートプログラム(SP)、練習できれいに跳んでいた冒頭の4回転サルコウで転倒したのだ。
全日本選手権SPの鍵山優真この記事に関連する写真を見る 昨季、右足首のケガでグランプリ(GP)シリーズを欠場。唯一出場した全日本選手権では、4回転ジャンプはサルコウだけ入れた構成で臨み、総合8位だった。ケガは治療途中で、勝負というより腕試しの場としての意味合いが濃かった。
一方、今季の全日本は、GPシリーズで戦えることを確認し、勝負を意識できるようになった。
「僕は1年間みんなとの差があるので、今シーズン、初戦から一つひとつしっかりと大切にしながらこなしてきました。全日本も、今までの経験を踏まえたうえでベストな演技がしたいと、本当に強い思いでここに臨みました」
鍵山からは、全日本独特の緊張感が色濃く漂ってきていた。そんななか、サルコウの失敗。「ひたすら悔しい」との言葉のなかに、単なるジャンプのミスというだけはない悔いがあった。
「6分間(練習)は動きは全然悪くなかったけど、それを終えて準備をしている間に、なんか、『ああ、もう始まるんだ』という思いになった。気づいたらポーズをとっていて、気づいたらサルコウを失敗していました。別に変なことや余計なことを考えていたとかいうのはまったくなかったけど、全日本特有の雰囲気や緊張感をものすごく感じていました」
それでも鍵山はミスを引きずらず、次の4回転トーループ+3回転トーループ以降はしっかりと決めて93.94点を獲得してSP3位につけた。悔しさがありながらも、サルコウのミスがなければ100点台の自己ベストに迫ることができるという手ごたえも得ていた。
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プロフィール
折山淑美 (おりやま・としみ)
スポーツジャーナリスト。1953年、長野県生まれ。1992年のバルセロナ大会から五輪取材を始め、夏季・冬季ともに多数の大会をリポートしている。フィギュアスケート取材は1994年リレハンメル五輪からスタートし、2010年代はシニアデビュー後の羽生結弦の歩みを丹念に追う。