本田武史にあらためて聞く「スケーター羽生結弦と、彼のいない今季の男子フィギュア」 (2ページ目)

  • 辛仁夏●文 text by Synn Yinha
  • 能登直/JMPA●撮影 photo by Noto Sunao/JMPA

早朝から120%の練習をしていた

 それは今までの経験というのが生かされて身につけられたものなのではないかと思います。東日本大震災でスケートを滑れなかった時に、いろいろなリンクを点々としながら練習していたことなど、さまざまな苦労も成長を促した要因のひとつだったかもしれません。そういう経験をしたからこそ、スケートにかける思いの強さという部分がすごく伝わってくるのかなと思います。

 3度目の出場となった北京五輪では完全に追われる身だったと思います。追われる身より追う身のほうがラクなのは確かなんですが、そんな状況のなかでも、大きな目標を掲げて、それを達成させるだけのものをしっかりと持っていたからこそ、あれだけの演技ができたのだろうと思います。

 コロナ禍になったここ数年間は本当に試合数も少なかったですし、ケガの影響とかもあったでしょう。そんな状況下にあってもしっかりと準備ができていたわけで、そういった環境においても自己分析ができる能力は彼のすごさのひとつだと思います。練習拠点のカナダに行けなかったなかで、ひとりで練習して、ひとりで調整しなければならなかった。やっぱり調子がいい日もあれば、悪い日もかなりあったはずですけど、そんなつらい状況を乗り越えられる精神力の強さを身につけていた。そういうところが演技にも出てくるのかなと思いました。

 メンタルの強さを垣間見せた一例を言うと、アイスショーで一緒に滑る機会があった時に、羽生選手は朝早くの練習から120パーセントに近い練習をしていました。すごくストイックなんです。

 羽生選手の競技人生を振り返ると、逆境に強いという感じもあると思いますが、精神的なところで「勝つぞ」という気持ちが人一倍強かったと思います。もちろんマイナスのことを考えることもあると思うんですけど、それを上回っている部分がすごくあったなと思います。目標までの具体化というところがものすごく細かいのかなと思います。たぶん、ものすごく負けず嫌いなんでしょうね。

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