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羽生結弦の心に火をつけた「衝撃」。チャンとの戦いで手にした収穫とは (6ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi
  • 能登直●写真 photo by Noto Sunao(a presto)

 羽生は「1試合1試合、パトリック選手に勝ちたいと思っていたけど、この時は『まだだな、今じゃないな』という感じがしたんです。点差をしっかり見せつけられたし、すばらしい演技を生で見て、燃えた部分がありました。自分を成長させてくれる、いいきっかけになるんじゃないかな」と話していた。

 羽生が急速に進化していく時に、チャンと3戦連続で戦えたのは羽生にとって価値ある経験であったし、その機会をしっかり生かせたのも、彼だったからこそだろう。

 そして、羽生はこうも言った。

「大きなミスが2つあった中での技術点87.28点というのは、すごく評価してもらえたと思っています。パトリック選手が初めて技術点で100点台を出していたけど、僕も4回転2本を跳べていたら、多分100点はいっているという感覚です。自分ができることをしっかりやれれば、それなりの点数が付いてくると思いました」

 また、羽生は演技後のメディアの囲み取材を受けるようになって、「自分の演技を振り返りながらそれを言葉にできるようになった」とも話した。

「僕は分析が好きで、自分の中ではやっていますが、こういう場があるからこそ自分のことをより分析できるし、いろいろな視点から質問がくるので、それは毎回ありがたいことだと思っています」

 そのポジティブな姿勢が、のちの勝利を招いたとも言えるだろう。
(つづく)

*2013年11月配信記事「羽生結弦、絶対王者チャンから得た『勝利以上の収穫』」(web Sportiva)を再構成・一部加筆

【profile】 
羽生結弦 はにゅう・ゆづる 
1994年12月7日、宮城県仙台市生まれ。全日本空輸(ANA)所属。幼少期よりスケートを始める。2010年世界ジュニア選手権男子シングルで優勝。13〜16年のGPファイナルで4連覇。14年ソチ五輪、18年平昌五輪で、連続金メダル獲得の偉業を達成。2020年には四大陸選手権で優勝し、ジュニアとシニアの主要国際大会を完全制覇する「スーパースラム」を男子で初めて達成した。 

折山淑美 おりやま・としみ 
スポーツジャーナリスト。1953年、長野県生まれ。92年のバルセロナ大会から五輪取材を始め、これまでに夏季・冬季合わせて14回の大会をリポートした。フィギュアスケート取材は94年リレハンメル五輪からスタートし、2010年代はシニアデビュー後の羽生結弦の歩みを丹念に追っている。

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