フィギュアのマニアが「羽生結弦の金メダルに、号泣しつつ願ったこと」
残念ながら、平昌五輪金メダリスト・羽生結弦の世界フィギュアスケート選手権欠場が決まってしまった。裏を返せば、平昌での演技はそれほどギリギリの状態で、無理を重ねて成し遂げた、奇跡に近いものだったのだ。
生粋のファンは、その姿に何を感じたのか。著書『羽生結弦は助走をしない 誰も書かなかったフィギュアの世界』が多くのフィギュアスケートファンの共感を呼んでいるエッセイスト高山真氏が、そのときの心境をつづった一文を紹介したい。
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「羽生結弦の金メダルに、号泣しつつ願ったこと」
2月の頭あたりから私は、江國香織さんの小説のタイトル『号泣する準備はできていた』にからめて、「号泣する準備はできています」と何度か言ってきました。2月16日のショートプログラムで、まず1度目の号泣を経験しました。
4回転サルコーのエントランスのなめらかなイーグル。そのイーグルに合わせた、美しいピアノの低音。ジャンプをパーフェクトに決めてみせるや、着氷のトレースの延長線上に厳密に(しかし非常に自然に)フリーレッグを置いていき、イーグルへ。そしてそのイーグルは、エッジチェンジをしながらスピードを上げていくのです......。この時点で、私の涙腺は決壊していました。
トリプルアクセル前のステップの大きさ、なめらかさ。そして、「トリプルアクセルを着氷した」ということが信じられなくなるような、着氷後のトランジション。着氷した足で、スピード豊かで複雑なエッジワークを永遠に刻めるのでは......と思ってしまうほどでした。
大きなターンから入る、4回転トウ+3回転トウのコンビネーション。3回転トウの両手タノのクオリティは、オータムクラシックのときよりも私にとっては印象的でした。
ステップシークエンスの非常にクリアな足さばき。そのクリアさと、ふれたら焼け焦げてしまいそうなパッションが同居しています。非常にあいまいな表現かもしれませんが、
「クリスタルが沸騰している」
というイメージすら持ちました。
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