番記者は見た。羽生結弦、ケガしたからこそ勝つ「金メダルへの執念」 (3ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi
  • photo by JMPA/Noto Sunao

 フリーのジャンプについては、4回転サルコウと4回転トーループを2本ずつ。トリプルアクセル1本と、4回転を2種類入れて最も基礎点が高くなる構成にした。その構成にすることを決断したのは、試合当日の朝だったという。

「4回転ループを跳びたいとか跳びたくないとかではなく、今回の試合はやっぱり勝ちたかったし、勝たなければ意味がないと思っていました。この試合の結果は、これからの人生でずっとつきまとってくるものだと思ったので、大事に大事に結果を取りにいきました」

 SPでトップに立ち、フリーを迎える間も精神的に追い込まれることはなかったという。今の状態でできる精一杯の構成で滑り切り、SPの歴代最高点に準じる評価をもらえたことで自分のスケートに自信が生まれ、フリーのジャンプ構成の決断につながった。

 試合後は、ケガの状態の悪さについても初めて口にした。右足首の靱帯損傷だけにとどまらず、自分では気づいていなかった部分も含め、さまざまな痛みがあったという。痛み止めの注射が射てない部位の痛みが引かなかったこともあり、薬を服用して本番に臨んでいた。羽生は「その痛み止めがなければ、3回転ジャンプすら跳べなかった」とも明かしている。

「でも、(ケガの原因となった)4回転ルッツや4回転ループに挑戦していたからこそ選択肢が多かったといえるし、それらのジャンプに挑戦したことが、今回の構成をやるうえでも大きな自信になりました。ここまでやってきたことには、ひとつとして無駄なことはなかったと思います」

 状態が万全ならば、ここまで勝ちに執着することはなかったかもしれない。自分の納得いく演技ができれば、どういう結果だったとしてもある程度は満足しただろう。しかし今回は、体が万全とはいえない状態で無理を重ねたうえで迎えた五輪。羽生は、「表彰台の頂点に立つ」という強い気持ちで出場していた。

 そんな思いが表れていたからこそ、羽生の演技は見るものすべてを魅了し、五輪連覇という最高の結果をもたらしたのだ。

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