浅田真央を導いた佐藤信夫コーチが思う
「点にならなくても大切なこと」

  • 辛仁夏●構成 text by Synn Yinha  岸本勉●写真 photo by Kishimoto Tsutomu

連載・佐藤信夫コーチの「教え、教えられ」(8)

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 選手として、そして指導者として長年にわたり日本のフィギュアスケート界を牽引し、国際スケート連盟の殿堂入りも果たしている佐藤信夫氏。コーチ歴50年。75歳になった現在も、毎日リンクに立ち、フィギュアスケートを教え続けている。

 その佐藤コーチが、前回に引き続きスパイラルについて語ってくれた。

1942年1月3日生まれ。現役時代は全日本選手権10連覇、60年スコーバレー五輪、64年インスブルック五輪に出場。その後コーチとなり、荒川静香、安藤美姫、村主章枝、小塚崇彦、浅田真央らを指導してきた1942年1月3日生まれ。現役時代は全日本選手権10連覇、60年スコーバレー五輪、64年インスブルック五輪に出場。その後コーチとなり、荒川静香、安藤美姫、村主章枝、小塚崇彦、浅田真央らを指導してきた 選手にスパイラルを指導するときには、基礎から順番に教えていきます。まずフラットエッジでまっすぐフォア(前進)で滑りながら、両方の足を順番に後方に腰付近まで上げるという練習。それができるようになったら、今度はバック(後進)でもやります。

 そのポジションを作れるようになるには、身体を支えるだけの筋力が必要です。ある程度の筋力ができてきたら、じゃあ今度はアウトサイドエッジに乗って滑ろうとか、インサイドエッジにしてみようとか、そして次の段階はアウトからインへ、インからアウトへのチェンジエッジをしようと進んでいきます。

 スパイラルに限らず、フィギュアスケートではインサイドエッジからアウトサイドエッジに変えるときのほうが難しいと言えるでしょう。もちろん、ケース・バイ・ケースで違いはありますが、重心を外側に移動することは、支えるものがない恐怖を抱くわけで、エッジをインからアウトに傾けるときは恐怖心との闘いが必要な場合があります。一方で、アウトサイドエッジからインサイドエッジに変わるときには、人間の持つ本能ということから考えてもそれほど怖くないと思います。

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