日本ボクシング世界王者列伝:名城信男 あまりに重い試練を乗り越え「大胆さ」と「巧さ」で築いた時代 (3ページ目)
【指導者としても試練の連続】
普段は明るく、とても謙虚で、その人柄のよさは誰もが認める。第二の人生もこの人物にふさわしいものだった。
2014年4月に開いた会見で現役引退と同時に母校・近畿大学ボクシング部ヘッドコーチ就任が発表された。近大は全日本大学王座決定戦優勝10度、関西学生リーグ戦優勝37度(現在は38度)というアマチュアボクシングの名門。名城のほか、WBA世界スーパーウェルター級暫定チャンピオンの石田順裕(金沢)や、"浪速のロッキー"赤井英和(グリーンツダ)といったスーパースターを輩出してきた。また、五輪銅メダリストの森岡栄治(1968年メキシコ五輪バンタム級)ほか、その部史には数多くの偉大な選手たちの名前が刻まれている。同部は2009年、部員が起こした強盗事件を機に一度は廃部となったが、復活を期して赤井が総監督に就任し、名城にも重要なポストが与えられた。ただ、それも、新しい試練の始まりだった。
2016年、アマチュア資格を持たないまま指導に当たったことを日本ボクシング連盟に問題視され、試合会場への出入りを禁じられた。名城にも言いたいことはあったが、部員たちの活動に影響を及ぼす可能性があると、じっと耐えた。2018年にアマチュア登録がやっと認められ、2019年に監督に就任する。しかし、その2年前に起こった指導者の不祥事の影響により、前年には近大でのスポーツ推薦枠からボクシングが除外されていた。戦力は徐々に落ちていき、監督就任から3年後、名城が下した決断は関西学生ボクシングリーグ戦の下部2部への自主降格の申し出だった。
実は関西の少年ボクシングは、とてもハイレベルである。世界ユース選手権チャンピオンとして勇躍プロに挑んでいる藤木勇我、坂井優太(ともに大橋ジム)は関西出身だし、全国高校総体などで上位に名を連ねる強豪高校も多い。だから、西の強豪大学にもジュニアの有力選手が集まる。
名城は未経験者に一から丁寧に教え、「指導は楽しい」というが、同時にレベルの差も痛感した。競技の性格上、あまりに実力差のある対戦は危険に過ぎるのだ。この7月5日まで行われた関西学生ボクシングリーグ戦では、6大学が争った2部で3勝2敗の3位。厳しい試練を乗り越え、プロでは頂点に立った名城の戦いは、まだまだ続いている。
●Profile
なしろ・のぶお/1981年10月12日生まれ、奈良県出身。奈良工業高校(現・奈良商工高校)でボクシングを始め、近畿大学3年生で中退。2003年7月、大阪府の六島ジムからプロに転向。アマ時代に目立った実績があったわけではないが、豪快な戦法で注目を集める。5戦目に世界ランカーを撃破、6戦目で日本スーパーフライ級タイトルを獲得。2006年には難敵王者マルティン・カスティーヨ(メキシコ)をTKOで破り、WBA世界スーパーフライ級王者に。8戦目世界王座獲得は当時、辰吉丈一郎(大阪帝拳)と並ぶ日本最短記録だった。2度目の防衛戦で陥落するも2008年には同王座決定戦で2度目の戴冠。2010年に王座を失った後も4度、世界王座に挑んだ。2014年に引退し、アマチュアの指導者に転進。現在、近畿大学の監督を務める。身長163cm。26戦19勝(13KO)6敗1分。アマチュア戦績は57戦38勝(20KO・RSC)19敗。大胆な攻め口ながら、正確にまっすぐ打ち込む右ストレートが最大の武器だった。
著者プロフィール
宮崎正博 (みやざき・まさひろ)
20歳代にボクシングの取材を開始。1984年にベースボールマガジン社に入社、ボクシング・マガジン編集部に配属された。その後、フリーに転身し、野球など多数のスポーツを取材、CSボクシング番組の解説もつとめる。2005年にボクシング・マガジンに復帰し、編集長を経て、再びフリーランスに。現在は郷里の山口県に在住。
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