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日本ボクシング世界王者列伝:名城信男 あまりに重い試練を乗り越え「大胆さ」と「巧さ」で築いた時代 (2ページ目)

  • 宮崎正博●文 text by Masahiro Miyazaki

【渾身の打撃戦の末、負傷TKOで世界奪取】

 WBA世界スーパーフライ級チャンピオン、マルティン・カスティーヨ(メキシコ)はきわめて強い選手だった。的確な技巧に守りも手堅く、絶妙なカウンターをはじめ、パンチの切れ味もすばらしい。

 2006年7月22日、東大阪アリーナで行なわれたタイトルマッチは、所属ジムが愛弟子の真の心の解放を願ったマッチメイクだったのだろう。メキシカンはやはり強かった。初回からワイルドパンチで迫る名城に左フックをカウンター。一瞬、挑戦者の体が硬直した。しかし、名城も負けていなかった。ビッグパンチの合間に正確な右ストレートをきれいに決めた。2ラウンドにはこのパンチでカスティーヨの左まぶたを切り裂き、出血が始まった。

 試合は激しい打撃戦に突入する。ポイントは両者の間を揺れ動き、まったくの五分と五分。その中で迎えた10ラウンド、カスティーヨの出血がいよいよ激しくなったのを見たレフェリーが試合をストップする。爆発的な歓喜のなかで、世界王者・名城の時代は始まったのだ。

 名城は体を揺さぶりながら前進を重ねる。ビッグパンチを振るい、対戦相手を追い詰めていく。しかし、ほんとうの持ち味はそんな大胆な攻め口ではなく、インサイドをうまく突き、右ストレートを軸に的確打を量産する技にあった。一転して狙うボディブローも鋭かった。

 名城はそういうスタイルのボクシングでなんと7年間も世界のトップで戦い、その間、2度の世界王座獲得、計3度のタイトル防衛に成功している。ただ、デビュー当初、あるいはカスティーヨを破った頃の迫力は、その後に見ることはなかったような気もする。3度目の王座返り咲きをかけた挑戦試合では世界戦4連敗を喫し、2013年9月、タイでのWBAスーパーフライ級暫定王座決定戦がラストファイトとなった。

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