【ボクシング】佐々木尽と世界の頂を目指すトレーナーが、後悔の涙を流した日 手を離してしまった愛弟子の異変 (3ページ目)
1997年3月、記者会見に臨んだ王者のバスケス(左)と挑戦者の渡辺雄二 photo by Kyodo Newsこの記事に関連する写真を見る
渡辺の公開スパーリングを見た時、廣隆は、すぐに違和感を覚えた。
サンドバッグに打ち込む強打は健在。だが、対人の反応は鈍い。「体調は万全」「調子はいい」と、陣営もメディアも期待を寄せる傍らで、スピードを失ったパンチ、微妙にずれたタイミング、距離感、明らかに反応が遅れたディフェンスを見て、廣隆は愕然とした。
あまりに変わり果てた姿。ヘナロに敗れはしたものの、世界初挑戦を10戦10勝10KOというパーフェクトレコードで迎えた頃の渡辺雄二は、もういなかった。
総指揮は斉田会長。運命を託されたのはチーフのマック。自分は、マウスピースを洗浄し、手渡すだけの立場。口は挟めない。だが、渡辺はリングへと向かう前、誰にも打ち明けられず、ひた隠しにしていた秘密を打ち明けた。最後に頼りにしたのは、サブセコンドの廣隆だった。
試合前の控室――。渡辺は周囲を見渡し、誰も見ていないことを確かめたのち、廣隆の耳元で告げた。
「中屋さん」
「うん、どうした」
「シューズの紐、結んでくれませんか」
「......」
「うまく、結べないんです」
うつむいた愛弟子のひと言。
点と点だった違和感が線になった。いや、すでにわかっていた。気づかぬふりをしていた現実を、認めざるを得なかった。
「ショックでした。理由はどうあれ、雄二から離れてしまったことを、心の底から悔やみました。試合直前に雄二から打ち明けられた時も、何も答えられず、黙って、うなずいただけでした」
渡辺は5回、左のクロスアッパーで顎を打ち抜かれた。
"KO PRINCE"はゆっくり崩れ落ちた。口から出血しながらも懸命に立ち上がる。だが、危険と判断したレフェリーが両手を振った。
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