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【ボクシング】佐々木尽と世界の頂を目指すトレーナーが、後悔の涙を流した日 手を離してしまった愛弟子の異変 (2ページ目)

  • 会津泰成●取材・文・撮影 text & photo by Yasunari Aizu

かつての中屋廣隆トレーナーの愛弟子・渡辺雄二は1991年10月、日本王者となり「月間MVP」を受賞したかつての中屋廣隆トレーナーの愛弟子・渡辺雄二は1991年10月、日本王者となり「月間MVP」を受賞したこの記事に関連する写真を見る

 1997年3月30日、東京・両国国技館――。

 WBA世界フェザー級タイトルマッチは満員札止め、1万人超の観客で沸き上がった。3階級制覇のチャンピオン、ウイルフレド・バスケス(プエルトリコ)に挑戦するのは、WBA同級1位の渡辺雄二、当時26歳。4年4カ月ぶりにたどり着いた、2度目の世界挑戦だった。

 純白のショートガウンを身に纏った渡辺がリングイン。カメラのフラッシュが四方八方から焚かれた。いたる所で振られる日本国旗。世界王座獲得に期待を寄せる大歓声。両国国技館に押し寄せたファン、テレビ観戦する視聴者、皆が新チャンピオン誕生の瞬間を待ち侘びた。

 ただひとり、廣隆だけは、まったく違う感情を抱いていた。

 セコンドは4人体制――。総指揮は、斉田ジムの斉田直彦会長。チーフは、マック・クリハラ。カットマンは、斉田会長とマックと旧知の天熊丸木ジム会長、丸木孝雄。

 廣隆は、リング下でマウスピースを洗浄する役目だった。

 プロデビュー時から指導し、ともに夢見た世界チャンピオンになる日。

 その4年4カ月前のヘナロ・エルナンデス(米国)戦は、斉田ジムのチーフトレーナーとして支えた。だが、1995年1月に独立して八王子にジムを開いたことで立場は変わった。斉田ジムとは友好関係を保ち、セコンドの手伝いに呼ばれたりもした。この日、主導権は与えられなかった。愛弟子の運命は、臨時トレーナーのマックに託された。

 渡辺は、ロサンゼルスで2カ月間、マックに指導を仰いだ。「世界を是が非でも獲らせたい」という斉田会長の意向だった。当時マックは、日本で最も注目されていたトレーナーのひとり。1994年12月、辰吉丈一郎との世界王座統一戦で薬師寺保栄を勝利へ導き、名声は一気に広まった。

 マックは渡辺に、2カ月という限られた期間のなかで、ほぼ連日のスパーリングを課した。通常であれば、週2、3回に抑える強度の実戦練習を、間隔を置かず重ねた。

 マック独特の指導で世界王者になった選手もいた。ただ、すべての選手に同じ結果をもたらすわけではなかった。

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