【連載】ウナギ・サヤカが語る、年齢を公表した後の周囲の変化と39歳の決意「夢を見せ続けないといけない」 (5ページ目)
――「みんなで楽しむ」ということをすごく感じたのが、8月2日、東京ドームシティ アトラクションズでの自主興行でした。作り手が楽しんでいると、受け手はこんなに楽しめるんだと感じた興行でしたが、楽しむということはいつ頃から意識していますか?
ウナギ:楽しむというか......初めて後楽園ホールで自主興行をやった時(2024年1月7日)、1試合目で記憶が飛んで、あと2試合あるのにまったく記憶がないという状況のなかで、周りの選手がひとり残らず自発的に動いてくれたんですよ。結果的にすごくいい興行だったのは、たぶん私が記憶を飛ばしたからなんです。(スターダム所属の)小波さんがめっちゃカッコよかったですね。「絶対なんとかするから大丈夫」って言ってくれました。
――メインまでに意識は戻った?
ウナギ:意識は戻っているんですけど、試合前の記憶がまったくないんですよ。「なんで後楽園にいるんだろう? もしかして試合、始まってます?」みたいに、ヤバい感じに飛んでて。でも、本当にすべての人が協力してくれて、「ウナがいなくてもできたのかな」と思ったくらいです。みんなで作り上げたから、すごく楽しい興行ができたんですよね。これはもう、ひとりで幸せになっちゃいけないなと思って。
スターダムをクビになって、最初は「見返したい」という気持ちでやっていたけど、なんか違うんじゃないかなって。楽しいことをやりたくてやってきたから、「みんなを幸せにできたらいいなあ」と思うようになりました。めっちゃ大変なんですけどね。世界平和なんかありえないんで。でも、みんなで作り上げて、みんながプロレスラーとして生まれた喜びを感じる興行にできた時には、お客さんが楽しくないわけがない。
【プロレスラーというジャンルで言ったら全員仲間】
――東京ドームシティ アトラクションズの時はまさにそういう興行だと感じましたが、両国の時はまだそこには届かなかった?
ウナギ:両国の時は必死すぎて、チームではなかったですね。ひとつにはなれなかった。 まあ、ひとつになる必要も正直ないんですよ。その興行に出てくれてる人がこの先ずっと一緒にいてくれるわけじゃないから。でも、みんなはこの団体がどうとか、フリーがどうとかって言うけど、私はぶっちゃけどうでもよくて。プロレスラーというジャンルでいったら全員仲間だし、そこを忘れている人が多すぎる気がします。
目の前の集客や、目の前の小銭を掴むのに必死すぎて、見えなくなっている人は多い。私ももちろん興行では席を埋めなきゃいけないし、目の前しか見えなくなるんですけど、仲間とやれたらいいなと思っています。 どこまで一緒にいるかはわからないけど、それでも仲間と思ってやってくれる人がいたらいいですね。
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