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有田哲平の「推し女子レスラー」Sareeeが振り返る、WWEから帰国後のジュリアらライバルたちとの激闘 (2ページ目)

  • 大楽聡詞●取材・文・撮影 text & photo by Dairaku Satoshi

――Saree選手はコロナ禍でWWE行きが1年延期になった2020年にも、"WWEカウントダウン"と題してシードリングのリングにも上がっていましたね。

そうですね。だから、帰国して橋本に敗れたあと、日本のプロレスにアジャストしようと自分を追い込んでいた時期に、シードリングのエースとして活躍してきた中島と戦えたのは、自分の方向性を確かめるために重要でしたね。「やっぱり戻ってきて間違いじゃなかった」と実感しました。

――あの試合の翌日、ダメージが大きすぎて起きられなかったとも聞きます。

起き上がれず、頭を動かせなかったです。目の周りを虫みたいなものがピカピカ光りながら飛んでる感じなんです。試合の夜には、冷却シートを貼って頭を冷やして寝たんですけど......中島に聞いたら、「私もだよ」って言ってました(笑)。振り返っても、命を賭けて戦っている者同士にしかできない戦いでした。

――中島さんは「2023年8月にSareeeと激しくやり合った上で敗れた。『Sareeeあとは頑張ってくれ』と思い、引退を考え出した」とのことですね。

彼女が引退してしまった今となっては、その言葉は重いし、うれしいですね。

【橋本へのリベンジで"第2章"がスタート】

――2024年1月、自主興行「Sareee-ISMチャプター3」で橋本選手と戦い、2023年5月のリベンジを果たしました。

帰国後の初試合で敗れてから、ずっと悔しくて。常に「早く橋本に追いつきたい」と考えてました。

――ただ、2023年5月の戦いも僅差だった印象です。

戦った私が1番わかります。海外に行っている期間、橋本に差をつけられてしまった。たぶん、橋本も気づいたんじゃないかな? 中島との一戦も、「もう負けたくない」と強い想いで戦いました。だからこそムキになって、自分を追い込むことができた。帰国後、橋本に負けたからこそ突っ走れました。

だからこそ橋本にリベンジしないと、帰国後の「"Sareee第2章"が始まんないな」って感じていました。2回負けるのは本当に恥ずかしいこと。だけど私は、自分を試すためにも橋本ともう一度戦いたかった。

――再戦までの期間は短かったですね。

私には長かった8カ月でした。自分にとって試練の時間でしたね。

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