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ケンコバが振り返る第1回G1での勘違い 蝶野正洋と武藤敬司の決勝のせいで「忘れられている場面がある」 (2ページ目)

  • 松岡健治●取材・文 text by Matsuoka Kenji

――当時は、ベイダーが絶対的な強さを誇っていた時代でしたから、それも番狂わせでしたね。そして、武藤さんは優勝決定戦へと駒を進めます。

「この時も、ケロちゃんは『やめてください』ってアナウンスしていたんですよ。確か東スポの記事で、『両国が使用禁止になる恐れある』というのを知りました」

――新日本プロレスにとって両国国技館は、1987年12月27日にたけしプロレス軍団(TPG)の乱入で、アントニオ猪木vs.長州力が変更になって観客が暴動を起こし、館内を破壊された相撲協会が怒ってしばらく使用禁止になったことがありました。それで田中アナウンサーも、必死で呼びかけたんでしょうね。

「それで思い出すのが、当時、『週刊ゴング』で河口仁さんが連載していた『ワンポイントパフォーマンス』っていうひとコマ漫画のコーナー。その試合のあとにケロちゃんのアナウンスを描いていて、『やめてくれ』みたいな感じのキャプションがついていたはずです」

【蝶野vs武藤は「ふたりのルーツがすべてリング上で出た」】

――河口仁さんのひとコマ漫画は、プロレスへの愛情があふれていて、私も楽しみにしていました。そんな初の座布団の舞があったあと、最終日の優勝決定戦を迎えたわけですね。

「Aブロックは武藤さんが決定戦に進出しましたが、Bブロックは蝶野さんと橋本真也さんが同点になり、最終日に代表者決定戦をやったんですよね。これが、かなり消耗の激しい試合になった。蝶野さんが橋本さんに蹴りまくられて、すぐに終わるのかなと思ったら、かなりのロングマッチになって蝶野さんが大逆転しました」

――そして優勝決定戦は蝶野vs.武藤になり、蝶野さんが劇的な初優勝を飾りましたね。

「この蝶野vs.武藤は、振り返れば振り返るほどすばらしい試合なんです。偶然なのかはわかりませんが、フィニッシュはパワーボムだった。それまで蝶野さんがほとんど出してなかった技だったんですが、あそこで出たのは、蝶野さんのそれまでのストーリーがあったからじゃないかと。蝶野さんはルー・テーズに弟子入りして、その教えを受けていたから、テーズが原型を作ったパワーボムがあそこで出たんじゃないかと思っているんです」

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