佐竹雅昭が明かす、バンナ戦後のK-1長期休養の真相 ヘビー級での連戦に医師から警告「脳が委縮するかもしれない」 (2ページ目)
【ドクターストップ、当時のK-1の体制も休養の原因に】
佐竹が明かした「限界」は、深刻な体調不良として表れていた。試合中に記憶を失った前年12月のサム・グレコ戦で脳へのダメージを自覚した佐竹は、このバンナ戦の前から日常生活でも「急にグラ~ンと目まいがする、といった症状が出ていました」と説明する。キモ戦でもリング上で意識が飛び、不安を抱えながら迎えたバンナ戦。強烈な左ストレートを浴び、ダメージと同時に命の危険を感じ、気力も切れたのかもしれない。
当時を振り返った佐竹氏 photo by Tanaka Wataruこの記事に関連する写真を見る
バンナ戦後、佐竹は都内の大学病院で脳のCT検査を受けた。
「精密検査を行なった結果、医師から『このまま闘い続けると脳が委縮するかもしれない。しばらく休養が必要です』と宣告されました。それで休むことを決断したんです」
激闘の連続で負った脳へのダメージによる長期欠場。ただ、当時は本当の理由を明かすことはできなかった。
「関係者から、『脳のダメージが原因で休んだことになるとK-1のイメージが悪くなるから、黙っとけ』って言われたんです。だから、当時はファンのみなさんの間でさまざまな憶測を呼ぶことになってしまいましたね」
ドクターストップがかかったわけだが、当時のK-1が、選手の安全を守る体制ができていなかったことも休んだ一因だったという。
「例えば、ドーピング検査はあったんですが、ある選手はトイレに入って大便用の個室にトレーナーとふたりで入って、尿をカップに入れて出てきて、それを提出していました。当然、本人の尿じゃないんじゃないかという疑惑がありますよね? それを許すようなリングに上がることはできませんでした」
ドーピング検査についても、当時のK-1は整えられていなかった。
「K-1は突然、人気が爆発しましたが、プロ野球やJリーグのように選手の待遇、安全を守ることなどの規約が整備された組織になる前にブームを迎えてしまった。『K-1事務局』というものもありましたが、それは名ばかり。だから、これは言葉は悪いですが、当時のK-1は"見世物小屋"と同じで、僕もその一部に過ぎなかったんです。
それは、欠場する前から感じていたことでした。選手を守ってくれない組織だったので、自分の生活は自分でちゃんと守らないといけないと思い、以前にこの連載でも話しましたが、自分で『怪獣王国』という事務所を作ったんです。僕は、闘うことが仕事でしたが、K-1事務局を頼りにしても生活の保証はなかった。だから違う分野で自分を宣伝して、自力で食っていけるものを作っていかないといけなかったんです」
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