幻に終わったアントニオ猪木との「シルクロード決戦」プランも 西村修のプロレスラー人生を元東スポ記者が振り返る (3ページ目)
【アントニオ猪木とシルクロードで戦うプランがあった?】
――アントニオ猪木さんも、糖尿病になった際に冷水の風呂に入るなど、さまざまな治療法を試していましたね。
柴田:氷風呂ですね。1987年10月に行なわれたマサ斎藤さんとの"巌流島決戦"の時、猪木さんは40度の高熱が出て、血糖値もすごく上がってしまった。決戦当日も周囲は「本当に中止なんじゃないか」と慌てふためいていました。でも、猪木さんは山口県下関市の宿舎のバスタブに氷をかき集めてもらって、そこに入って熱を落としたんです。
――「夜明けとともに試合開始」だったはずなのに遅れたのは、そんな理由もあったのですね。西村さんは、1回目のがんの時はインドに行ったとのことですが。
柴田:ガンジス川で沐浴していましたね。あの川は、生活排水や工業廃水、水葬などにより、水質汚染が問題になっていた。普通の人が入ったら病気になってしまうことも多いだろうし、実際に、ガンジス川に一緒に入った友人は短時間で体調を崩してしまった。西村さんは免疫力が高かったんでしょうね。
――西村さんは"猪木イズム"を直に継承したひとりですね。
柴田:ふたりの関係でいえば、西村さんが世界各地を旅している時に、ヨーロッパで猪木さんに会ったらしくて。その時に、全長6400km以上もあるシルクロードで、猪木さんと西村さんが東の端と西の端から別々に旅をスタートし、出会ったところで試合をするプランも出たそうですよ。
――猪木vs西村修のシルクロード決戦ですか? 巌流島以上にすごいプランですね。
柴田:当時はテレビがバブリーな時代で、猪木さんは「どっかが乗ってくれるんじゃねえか」と話が弾んだそうです。形にはならなかったけど、実現したら歴史に名を刻む戦いになったでしょうね。
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