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齋藤彰俊が引退を決意した、同志・潮崎豪との激闘 最後の試合では「ノアとは何か? を伝えたい」 (2ページ目)

  • 松岡健治●取材・文 text by Matsuoka Kenji

【潮崎との決戦前に決まって起きる異変】

 三沢のラストマッチで齋藤のパートナーだったバイソン・スミスは、2011年11月22日、心不全のため38歳で急逝した。それ以来、三沢さんのラストマッチでリングにいたのはふたりだけになった。

 スミスが亡くなったこの年の年末に、齋藤はノアから所属契約を解除する通告を受けてフリーとなり、一方の潮崎は2013年夏に全日本プロレスに移籍した。それから紆余曲折を経て、2014年6月に齋藤が、2015年11月には潮崎がノアに復帰する。ふたりのプロレス人生は、常にどこかでシンクロしていた。

 だからこそ、齋藤の潮崎に対する思いは特別だった。それは潮崎も同じ。それを象徴する一戦が行なわれたのは、コロナ禍であらゆるスポーツ、エンターテインメントが興行自粛に追い込まれた2020年6月14日。観客を動員できない苦境のなか、GHC王者だった潮崎の指名を受けたのが齋藤だった。三沢さんが亡くなった6月の試合で、齋藤は潮崎のエメラルドフロウジョンを受けて敗れた。

「あの時は、久々のGHC王座への挑戦でした。コロナ禍でお客さんを入れることができない状況で、しかも6月開催......。だからこそ、シオは自分を指名したんだと思っています。自分は負けましたが、苦境に打ち克つ意味合いのあった試合だったと思います」

 潮崎とGHC戦では、いつも体に異変が起こるという。

「シオと選手権をやる時って、いつも直前にケガをするんです。最初の挑戦の時も前日の会見で、一度座ったら立てないぐらい腰が痛かった。筋肉の損傷で、骨を痛めたわけではなかったんですが、武道館の試合当日にブロック注射を3カ所打って、薬を飲んでリングに向かいました。あの無観客の配信マッチでの選手権では頸椎を痛めていました。でも、不思議と試合はできるんです」

 今年7月、武道館での試合の時もそうだった。

「今回も実は、腰を痛めていたんです。痛み止めを多く飲んで、会場で座薬を入れました。シオとの選手権になると必ずケガをするのは、必然なのかなと思っています。もしかしたら三沢さんから、『お前、それぐらいで休むんじゃないぞ』って言われているのかもしれません」

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