ブル中野は15歳で全女に入り、約1年で極悪同盟に強制加入 ダンプ松本からは「半ハゲでいいな」 (5ページ目)

  • 大楽聡詞●取材・文 text by Dairaku Satoshi

――当時、お付き合いしていた方とも別れてしまったとのことですが、髪型が原因だったんですか?

ブル:全女には「酒・タバコ・男禁止」という"三禁"があったんですが、悪役になる前から内緒で付き合っていました。会う時は普通の髪型でしたけど、剃られたあとの姿は目立つから雑誌に出てしまう。それで、「女としての幸せやプライベートの幸せは一切いらない。私はリングのなかだけで生きていく」と覚悟を決めました。あの時、私は「プロレスラーになった」と思うんです。

――悪役として生きていく決意をしたんですね。

ブル:今みたいに悪役がカッコいい時代じゃないし、本当に憎まれるだけの"裏街道"。悪役になった時点で表の社会では生きられない。親からも、「会社に言われたのは仕方ないけど、髪の毛染めちゃダメだよ」「化粧もダンプみたいにしちゃダメ」と言われていました。

 私自身も、若かったし嫌でしたけど、やらなくちゃいけなかったんです。「全女で生きていくしかない。帰るところはないんだ」とわかって、リングのなかで生きていこうと腹をくくりました。そこで初めて、「悪役として、何でもやってやろう」と決めたんです。

 それまでは、会場に行くとお客さんに石を投げられるし、怖くて毎日怯えていました。だけど、それが「悔しい」「ちくしょう」という思いに変化して、最終的には「悪役として、おまえらを絶対ファンにしてやるからな!」という気持ちになりましたね。

(中編:ヌンチャクを武器とし男性ホルモンの注射を打ったわけ 人気絶頂の極悪同盟での苦悩も明かす>>)

<プロフィール>
ブル中野

1968年1月8日生まれ、東京都出身、埼玉県川口市育ち。170cm。1983年9月23日に全日本女子プロレスでデビュー。1984年9月13日、全日本ジュニア王座獲得。1984年10月に極悪同盟加入。1985年2月、リングネームを本名の中野恵子から「ブル中野」に改名。クラッシュギャルズ(長与千種&ライオネス飛鳥)との抗争で女子プロレスブームを巻き起こした。ダンプ松本やクラッシュギャルズが引退後、WWWA世界シングル王者として団体を牽引した。1993年から1994年にかけてWWFに長期遠征。同年11月、WWF世界女子王座を獲得。1996年に再度アメリカへ遠征。翌年、遠征中に負ったケガによりプロレスラーを引退。今年4月、WWE殿堂入りを果たした。

【写真】ブル中野インタビュー フォトギャラリー

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