ブル中野は15歳で全女に入り、約1年で極悪同盟に強制加入 ダンプ松本からは「半ハゲでいいな」 (4ページ目)

  • 大楽聡詞●取材・文 text by Dairaku Satoshi

――以前にアジャコングさんは、極悪同盟に加入してよかったことについて「リング設営をしなくていいこと」「ダンプさんが好きなだけ食べ物を用意してくれること」と話していました。

ブル:お金がない若手たちは、先輩たちへの差し入れの残りものを巡業バスのなかで隠れて食べていました。でも、極悪同盟専用のバスには飲み物や食べ物を常備した冷蔵庫があったんです。それを好きなだけ飲み食いすることができて、なくなるとダンプさんが補充してくれました。

 それと、悪役になってから急に給料が上がりましたね。

――それは「悪役はつらい役割だけど、給料を高くするから納得してほしい」ということだったのでしょうか?

ブル:いえ、単純にプロレス以外の仕事が増えたんです。ダンプさんと一緒にドラマやバラエティ、歌番組への乱入など、試合以外の仕事が毎日ありました。それまで月収5万円だったのが、一気に70、80万に跳ね上がったんです。

【悪役として覚悟が決まった、ダンプによる「半剃り」】

――1985年2月から、本名だったリングネームを「ブル中野」に変更し、爆発的なブレイクを果たします。当時の極悪同盟には、ダンプさん、ブル中野さんのほかにクレーン・ユウさんがいましたね。

ブル:私が極悪同盟に加入した当初は、リーダーがダンプさん、No.2がクレーンさんでした。でも、1985年4月26日の茨城大会で、ダンブさんとクレーンさんによる「極悪同盟」の同門対決があり、クレーンさんが大流血。この試合を最後に、クレーンさんは本名の「本庄ゆかり」でレフェリーに転向したんです。

――そこからブルさんがNo.2になったんですね。

ブル:その頃は、まだ気持ち的に悪役になりきれておらず、「私は悪い人じゃないのに、悪役をやらされています」という感じだったんです。ダンプさんはそれを見抜いていました。

 九州の地方巡業中、「おまえは中途半端だ。可愛い子ぶってるからダメなんだ。モヒカンにしろ!」とダンプさんに宣告されました。そして、地下の控え室でビニール袋を被せられ、ダンプさんと周囲の人間に押さえつけられて、バリカンでの散髪が始まったんです。でも、半分まで剃った時にダンプさんが「おまえは半人前だから、半ハゲでいいな」と片方だけで終了。たぶん、飽きたんでしょうね(苦笑)。

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