ブル中野は15歳で全女に入り、約1年で極悪同盟に強制加入 ダンプ松本からは「半ハゲでいいな」 (2ページ目)

  • 大楽聡詞●取材・文 text by Dairaku Satoshi

【プロレスのために、ストリートファイトに明け暮れた】

――オーディションから中学卒業までの2年間はどう過ごしたんですか?

ブル:私は水泳部だったんですが、中学を卒業したら全女に入門すると決めていたので、「強くなりたい」と思い、その中学校になかった女子柔道部を自分で立ち上げました。

 あと、子どもの頃の私はとても内向的な性格だったんですが、当時は、ロックンロールバンドの「横浜銀蝿」に憧れる女の子がいたり、映画やテレビドラマの影響などもあって「不良少女」や「スケバン」が流行っていたので、「よし、私もそうなろう!」と思って。中学卒業までの2年間は、プロレスのためにストリートファイトに明け暮れましたね。

――プロレスのためにストリートファイトをするというのは、すごい考えですね......。

ブル:そうですね(笑)。それで中学2、3年の夏休みや冬休みは、全女の興行に同行して会場の売店でパンフレットやグッズ販売のお手伝いをしました。寮に1カ月間ほど住み込みしたんですが、立野さんと同じ部屋で、二段ベッドの上で毎日緊張しながら寝ていました(笑)。

 その頃は入門前でしたが、たまに「前座で試合するから」と言われて、当時の新人の方と試合をしたこともありますね。

――前座とはいえ、入門前にリングで試合ができたのですね。

ブル:第1試合の前の「第0試合」で、私は練習生としてリングに上がりました。そこではけっこう勝っていましたよ。試合内容は寝技中心で、道場でのスパーリングを観てもらう感じです。

――正式にデビューしたのは1983年9月23日。プロテストに合格するまで時間がかかったと伺いました。

ブル:2回落ちて、3回目でようやくなんとか補欠合格。道場では一番強かったんですけど、基礎体力がなくて基本の動きが鈍臭かったので、どんなに練習してもなかなか周囲に追いつけませんでした。早い人は3カ月でデビューするのに、私は6カ月かかりましたね。

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