「モンスター2世」19歳・坂井優太 井上尚弥の言葉で覚悟を決めた父の二人三脚の世界王者への道 (2ページ目)

  • 杉園昌之●取材・文 text by Sugizono Masayuki
  • 山口裕朗●写真 photo by Yamaguchi Hiroaki

【井上尚弥からの言葉で覚悟を決めた】

坂井は1年前に井上尚弥からもらったグローブをずっと使い続けている坂井は1年前に井上尚弥からもらったグローブをずっと使い続けているこの記事に関連する写真を見る 地に足をつけトップアマとして順調なキャリアを歩んでいた高校3年の夏前だった。思いもよらない人から声をかけられる。世界4団体統一王者の井上尚弥が所属する大橋ジムの大橋秀行会長である。いきなり具体的なオファーをもらったわけではない。最初は「今度、練習に来てみてください」という程度のもの。坂井もせっかくの申し出を無下に断らず、7月から9月にかけて兵庫から横浜のジムまで足を運んだという。

「その時、(井上)尚弥さんと一緒に練習させてもらったんです。僕がこれまで一度も感じたことのない空気感、雰囲気がありました。集中力が違いました。プロもいいかなと思い始めて、僕が迷っていると、尚弥さんから言われました。『覚悟を持って来ることができるのであれば来ればいい。もしも覚悟がないのであれば、やめたほうがいいよ』と。あの言葉を聞いて、プロに転向することを決めました」

 坂井の覚悟とは言わずもがな。世界チャンピオンになることだ。

「そこは絶対です。そこにたどり着かないと、成功とは言えません」

 当然、幼い頃からキャリアをともに歩んできた父親にも、プロ転向への意思を伝えた。

「父からは『まず1週間は考えろ』と言われました。人生を懸けることなので、しっかり時間をかけて答えを出しなさいと。その場ではうなずきましたが、僕の心はすでに決まっていました」

 坂井のプロ入りは、父親の人生も左右することだった。伸克さんは父親でもあり、何があっても変わらず信頼を寄せてきたトレーナー。アマチュアで結果を残し続けていたこともあり、その関係を変えたくはなかった。

「僕はお願いする立場でした。ふたりでここまでやってきたので、プロでも選手とトレーナーとして一緒にやりたいって。僕が生半可な気持ちであれば、父の人生も狂ってしまいます。いろいろなものを背負って、プロ転向を決断しました。だから、僕は絶対に成功しないといけないんです。父親も『成功させる』と言ってくれているので、その思いにも応えたい」

 高校卒業後は父子で上京し、ふたり暮らし。自営業の伸克さんは週4日、横浜のジムで息子のトレーナーを務め、残りの3日は兵庫に戻って仕事をこなす日々だ。いまも毎朝、公園でトレーニングに付き合い、夕方からはジムで指導している。ただ、基本的にミットを持つのは元ロンドン五輪代表の鈴木康弘トレーナー。静かに腕組みしながら息子のパンチと動きをチェックし、しばらくすると、別の選手のトレーニングにも目を向ける。

「私は午前中からずっと一緒ですから。ほかのトレーナーさんにも見てもらえれば、吸収できるものもまた違います。なるべく私の色に染まらないようにしたい。ミットの時間は、私自身もほかの選手たちを見て勉強しているんです。50歳を過ぎて体力的にしんどいですけど、一緒に新しいチャレンジできるのは幸せなこと」(父・伸克さん)

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