「プロレス1本に絞れ」...東京女子プロレスの「無冠の女王」角田奈穂が語る、アンチが湧いてもリングに上がり続ける理由

  • 尾崎ムギ子●文 text by Ozaki Mugiko

■『今こそ女子プロレス!』vol.14

角田奈穂 後編

(前編:保育士と女優時代の苦悩 「崖っぷち」の状態でリングに賭けた>>)

 公務員保育士、地下アイドル、グラビアアイドルを経て、舞台女優デビューした角田奈穂。"数字社会"である舞台の世界に嫌気が差し、一度は表舞台から去るも、諦めきれずにいたところ、「女優によるプロレス」がコンセプトのアクトレスガールズが旗揚げされる。藁をも掴む思いで一期生となるが、運動経験のない角田にとって試練の日々が始まった――。

東京女子プロレスで「無冠の女王」と呼ばれる角田奈穂 photo by 東京女子プロレス東京女子プロレスで「無冠の女王」と呼ばれる角田奈穂 photo by 東京女子プロレスこの記事に関連する写真を見る 最初は20、30人いた同期も、次々とやめていった。事務所から「アザができるのがダメ」と言われてやめる人もいれば、試合の当日にバックレていなくなった人もいた。練習はきつかったが、角田は食らいついた。「28歳の自分に残された道は、これしかない」と思ったからだ。

 2015年5月31日、プレ旗揚げ戦「アクトレスガールズBeginning~プロローグ」にてデビュー。本間多恵に敗れたが、初めての試合で言いようのない高揚感を味わった。

 プロレスを続けたメンバーの中で、本人曰く"ド底辺"だった。後輩がメキメキと成長し、団体から「お前が組めるカードはない」と言われた。デビューから2、3年経っても、「絶対にお前は上には上がれない」と言われ、試合が終わると毎回、楽屋で号泣した。

 2016年8月、堀田祐美子がアドバイザーに就任するとさらに厳しくなり、吐くほど練習した。堀田のツテで大御所の先輩たちに教えてもらうこともあったが、それは究極の体育会系縦社会であり、練習後や試合後も厳しさと悔しさで家に帰って泣くことが多々あった。

「なにをやっても『どんくさい』と言われていました。動きもどんくさいし、間も悪いって。要はセンスのなさだと思います。対戦相手の先輩に『お前からは何も感じない』と言われたこともあります。睨みつけるくらいのことしてみろよ、技で勝てなくても目だけは死ぬな、みたいな」

 それでも角田はやめなかった。プロレスが好きだったからだ。試合をして、どんなに怒られて泣いても、何日か経つとまたあの刺激が欲しくなる。

「体から痛みが抜けてくると、自分の体じゃない感覚がするんですよ。痛みもありきでずっと生きてきたから、物足りなくなる。痛みが抜けてくると『ああ、つまんないな』と思っちゃうんですよね。中毒ですよ。バンジージャンプをしても絶対に得られない。他に同じ感覚を得られるものが、まずないです」

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