アントニオ猪木が「町でケンカしてこい!」 佐山聡がある弟子への叫びに見た「猪木イズム」の原点 (3ページ目)
【猪木さんの「1、2、3、ダァーッ」は誰もマネできない】
プロレスに闘いを追い求めた猪木さん。後年になって佐山は、猪木さんが大衆の前でも、いつもどんな場所でも闘いを貫いていたことがわかったという。
「猪木さんは引退した後、いろんな場所で『1、2、3、ダァーッ』とやっていましたよね。あれは、僕もそうですけど、誰もマネできません。同じようなことをやる人はいますが、誰ひとりとして猪木さんのような『ダァーッ』をやる人を見たことがありません。
たぶん、猪木さんにとってはあの『ダァーッ』も、闘いだったんだと思います。あそこまで貫ける人は猪木さんだけ。そして、それが『猪木イズム』です」
猪木さんは「プロレスこそ最強」を標榜した。佐山は、その姿勢に共鳴して新日本に入り、プロレスラーとなった。猪木さんの背中を追いかけて「強さ」を追求すべく、佐山は道場での練習に加えてキックボクシングのジムに通い始める。この行動が、猪木さんと佐山の距離をさらに縮めることになる。
(連載3:猪木から「お前を第一号の選手にする」佐山聡が振り返る「一生忘れられない」言葉>>)
【プロフィール】
佐山聡(さやま・さとる)
1957年11月27日、山口県生まれ。1975年に新日本プロレスに入門。海外修行を経て1981年4月に「タイガーマスク」となり一世を風靡。新日本プロレス退社後は、UWFで「ザ・タイガー」、「スーパー・タイガー」として活躍。1985年に近代総合格闘技「シューティング(後の修斗)」を創始。1999年に「市街地型実戦武道・掣圏道」を創始。2004年、掣圏道を「掣圏真陰流」と改名。2005年に初代タイガーマスクとして、アントニオ猪木さんより継承されたストロングスタイル復興を目的にプロレス団体(現ストロングスタイルプロレス)を設立。2023年7月に「神厳流総道」を発表。21世紀の精神武道構築を推進。
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