カメラマン・原悦生氏が厳選した「アントニオ猪木」ベストショット (13ページ目)
猪木が国会議員になった時に撮りたい写真があった。すべて準備は整っていたが、私はなかなか言い出せなかった。合成じゃないかと言われたが、実際に撮ったものだ。そこには国会に向かう猪木がいた。1989年7月
photo by Hara Essei
記事を読む>アントニオ猪木を撮り続けて半世紀。そばにい続けたカメラマンが明かした「最後の闘魂」初めて猪木を撮った写真だ。1972年3月23日、新日本プロレス旗揚げオープニングシリーズ第8戦。茨城県立スポーツセンター(水戸)のリングサイドには夢中でカメラを構える高校生がいた 猪木vsアリ。1976年6月26日。この試合だけはどうしても見たかった。まだ、大学生だったが友人と5000円のチケットを買って日本武道館に行った。短い時間だったが、幸運にもリングサイドで撮影することができた 卍固め。延髄斬りと並んで猪木の代名詞だ。マスクド・スーパースターのような大きな体の相手にも猪木はうまく絡みついた。1978年3月30日、蔵前国技館 私は猪木の背中が好きだった。だが、この写真を見た猪木は自分の体が硬くなっているのを実感したという。1983年5月15日、後楽園ホール IWGP決勝戦でハルク・ホーガンにKOされた猪木の復帰戦は、田園コロシアムで行なわれた。ラッシャー木村相手に強い猪木が蘇った。1983年8月28日 国会議員になった猪木は精力的に世界を飛び回った。キューバのフィデル・カストロ議長とも酒を飲み交わして友人になった。1990年3月22日、ハバナにて 湾岸危機のイラク。日本人人質救出に猪木は立ち上がった。平和の祭典をバグダッドで開催。サダム・フセインは猪木の功績を讃えて、最初に日本人の人質解放を発表した。1990年12月5日 猪木は北朝鮮に少しでも風穴を開けようと平壌で一大イベントを開催した。友人のアリをゲストに招き、メーデースタジアムでリック・フレアーと戦った。2日間で38万人という空前の大観衆。師匠力道山の故郷での大歓声。私は猪木の引退試合かと思った 「ダーッ」。ファンは猪木とともに叫ぶようになった タイガー・ジェット・シンに怒りの鉄拳をぶち込む猪木。「インドの狂虎」との血闘にファンは熱狂した 猪木の笑顔は魅力的だった アントニオ猪木。またの名を「燃える闘魂」。強くて心のやさしい男だった。猪木さんに出会えたこと私は誇りに思っている
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