Sareeeが振り返る激動のプロレス人生 「警察を呼ばなくちゃ!」デビュー戦直前のアジャコングの乱闘でパニックになった (4ページ目)
【WWEへの挑戦と"猪木イズム"の継承】
――2冠女王になり、女子プロレスグランプリも獲得。2020年1月には活動の拠点を海外に移すことを発表し、2月WWEに入団します。このオファーは、いつ頃からあったものなんですか?
Sareee:正確な時期は覚えていませんが、勢いに乗り始めた2019年の夏頃だったと思います。最初は契約ではなく「WWEメイ・ヤング・クラシック(WWE Mae Young Classic)のトーナメントに参加しないか?」というオファーがあって、話を進めるうちに「アメリカで活動する気はないか?」と誘われました。
もちろんWWEが世界一の団体であることは知っていたので、嬉しかったですよ。ただ、当時はアメリカでやることにあまり興味がなくて、状況をよく理解できていませんでした。いろんな人に相談したら、「こんなチャンスは誰にでも来るものじゃないから、絶対に行ったほうがいい」と背中を押していただいて、渡米を決断したんです。
――初めに相談した相手は?
Sareee:伊藤薫さんです。伊藤さんはプロレス界に入った時からずっと面倒見てもらって、最もお世話になった師匠なので一番に相談しました。あとは京子さん、ジャガーさんにも相談しましたね。みなさん、とても喜んでくれました。
――渡米する前、アントニオ猪木さんにWWE参戦を報告されましたが、どんなお話を?
Sareee:ストレートに「WWEに行くことになりました」と。昔から憧れていた猪木さんとお会いするのは初めてで緊張しましたが、「頑張ってね」と言っていただいて。いろいろとお話しさせていただきました。
――Sareee選手の使う技に、相手の足を固める「リバースインデアンデスロック」があります。Sareee選手がWWEでも使っていたのを見て、猪木さんへのリスペクトを感じました。
Sareee:あの技は猪木さんのマネをしました(笑)。私は、猪木さんのイメージが強い赤が好きなんですが、猪木さんに「(衣装で)赤を使わせていただきたい」と言ったら、「(Sareee選手は)すごく似合うと思うから使っていいよ」と了承をいただきました。これからも猪木さんの名に恥じないように、赤も技もしっかり使って"猪木イズム"を継承していきたいです。
(後編:「女子プロレス=アイドルっぽいを覆したい」WWEから日本復帰で見せたい闘い>>)
【プロフィール】
■Sareee
1996年3月31日、東京都板橋区生まれ。158cm、60kg。中学卒業後の2011年4月17日、ワールド女子プロレス・ディアナ旗揚げ戦でプロレスデビュー。2014年4月20日、初タイトルJWP認定ジュニア王座&POP王座を戴冠。2018年7月22日、井上京子に勝利し第8代W.W.W.D世界シングル王者に。同年12月20日、アジャコングに敗れて王座から陥落するも、翌年5月12日に王座を奪還。同年6月8日にはW.W.W.D世界シングル選手権&センダイガールズワールドチャンピオンシップ2冠女王となる。2020年2月、世界最高峰の米プロレス団体「WWE入団」を発表。コロナ禍の影響で約1年遅れで渡米し、新リングネームSarray(サレイ)としてWWE・NXTでデビュー。2023年3月9日、WWEを契約満了で退団して日本での活動することが発表された。
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