ブラウン管のなかの猪木はいつも怒っていた。「力道山への反発心というか、世界的なスケールで何かを成し遂げたかった」 (2ページ目)

  • 井上崇宏●文 text by Inoue Takahiro
  • photo by Hara Essei

 中学に上がると、体の大きさを買われてバスケットボール部に入部した。ところが、1年生の2学期に先輩がふざけて顔面にボールをぶつけてきて、寛至少年はその先輩をぶっ飛ばして退部する。そして陸上部に移って、砲丸投げを始めた。

「『魂に触れる』という言葉があるけど、ぼやーっとした霧がかかっていたようなそれまでの人生から、空にスーッと光が射したというのかな。初めて砲丸を持った瞬間に、全身に電気が走ったんだよね。振り返ってみると、あの砲丸を手にした瞬間が、オレがプロレスラーになる出発点ですね。

 子どもの頃って『自分ってなんなんだろう?』ってぼやーっとしながら思っているわけだよ。学校に行くのは好きじゃなかったけど、行かなきゃいけない。その時に砲丸を投げられるというのが、初めて学校に行く楽しみになった。だから、授業が終わったら教室の床を雑巾がけしなきゃいけないんだけど、それをオレひとりで一気にやっちゃんだよね。早く砲丸を投げたいから。

 言ってみれば、楽しかったんですよね。当然、記録とかも考えてはいたんだけど、それよりも投げた時の快感。ただ、確実に距離が伸びていくんですね。2センチ、5センチ、多い時は20センチぐらい......。自分の成長が見えてくるんですよ」

猪木は何に怒っていたのか?

 9歳。

 1972年生まれの僕は、小学4年生の時にプロレスと同時にアントニオ猪木に出会い、瞬く間に虜にされた。

「貴様、この野郎!」
「てめえら、ぶち殺してやる!」

 金曜の夜8時、ブラウン管のなかの猪木は常に怒っていた。

 反則行為を繰り返す対戦相手のことを「ぶち殺す」と叫ぶその姿は、正義の体現者であるスーパーヒーロー像とはかけ離れていた。それでも、猪木はカッコよかったし、のちに知るワードだが"色気"があった。僕も対戦相手のことを心底憎み、猪木がやっつけると心がスカッとした。

 いつも一緒にプロレス中継を見ていた無口でおとなしい父も、猪木になにか心を突き動かされているような気配を、子供心に感じとっていた。

2 / 4

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る