アントニオ猪木が生前に語った、アリ戦での挫折を救ったタクシー運転手の言葉と「引き分けでよかった」理由 (3ページ目)

  • 松岡健治●文 text by Matsuoka Kenji
  • photo by Belga Image/アフロ

 ほぼ何もできないルールだったが、猪木さんには勝算もあった。入門から道場での練習で培ったレスリングと関節技の技術だった。道場で群を抜く強さを身につけていた猪木さんは、アリをリングに上げてしまえば仕留める自信があったのだ。

 しかし試合は、寝転んだ状態でアリの下半身を蹴ることしかできなかった。後に「アリキック」と呼ばれ猪木さんの得意技のひとつになったが、試合中は会場からヤジも飛んだ。

それでも6ラウンドには驚異的な技術でアリを倒し、顔面にヒジを入れる展開に。仰向けで無防備なアリの顔面にヒジをもうひと突き入れればKOできたはずだった。しかし猪木さんはそうすることなく、レフェリーが割って入って最大の勝機を逃した。

 試合は15ラウンドの判定で引き分け。翌日の新聞には「茶番劇」という見出しが躍った。右足の甲は腫れ上がり、剥離骨折するなど命がけで闘った猪木さんだったが、世間からの批判が集中した。一夜明けた失意を、猪木さんはこう振り返った。

「翌朝の新聞を読んだ時に批判ばかりでね。命がけで挑んだ勝負を誰もわかってくれないのかと、すごい挫折感がありましたよ」

 当時の妻で、女優の倍賞美津子と住んでいた代官山のマンションを出た時、一台のタクシーが猪木さんの横で止まった。そして運転手にこう声をかけられたという。

「ご苦労さん」

 このひと言が猪木さんは忘れられなかった。

「新聞を読んで、俺の周りは全員が敵だと落ち込んでいましたから、あの運転手さんのひと言に救われたんです。『あぁ、わかってくれている人がいるんだ』ってね。人生において、誰でもいろんな挫折があると思うんですが、瞬間的なひと言で立ち直れることがあることを教えられました」

 無謀な挑戦と笑われながら試合を実現させた行動力。困難なルールも受け入れた勇気。すさまじい批判に遭っても前を向く豊かな感受性。アリ戦には、プロレスラー「アントニオ猪木」のすべてが凝縮していた。

 だが、アリとの試合は続編があった。

 常識外れの試合を実現させたことで、縁もゆかりもないパキスタンから試合のオファーが届いたのだ。猪木さんはそれを受けて現地に飛び、地元のプロレスラーであるアクラム・ペールワンと闘って勝利した。

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