藤波辰爾が50年目の新技と鋼の肉体へのこだわりを明かす。「僕のレスラーとしての命は黒のショートタイツ」

  • 松岡健治●文 text by Matsuoka Kenji
  • photo by Nikkan Sports/AFLO

 今年デビュー50周年を迎えた藤波辰爾が、「50年目の新技」を炸裂させてプロレスファンを驚かせた。

2021年9月に2冠王者となり、年末に初防衛を果たした藤波2021年9月に2冠王者となり、年末に初防衛を果たした藤波この記事に関連する写真を見る 12月26日に行なわれた「HEAT‐UP」の新百合ヶ丘大会。HEAT‐UPユニバーサル王座とPWL世界王座のシングル2冠の藤波は、挑戦者のTAMURAを新技「ドラゴンバスター」からの片エビ固めで破り、初防衛に成功した。藤波によると、新技は1988年に編み出した「ドラゴン・スリーパー」以来、33年ぶりだという。12月28日に68歳の誕生日を迎える直前に繰り出した新技に、「新たなプロレスの面白さを実感しています」と胸を張った。

 思い返せば、藤波は新技とともに飛躍していった。1978年1月23日、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンでWWWF(現WWE)ジュニアヘビー級王座を奪取し、一躍スターダムを駆け上がるきっかけになったのは、同試合で初めて披露した「ドラゴン・スープレックス」だった。相手をフルネルソン(羽交い締め)で固め、そのまま投げてブリッジで固める"荒業"によって、シンデレラのように一夜にしてトップレスラーの仲間入りを果たした。

 凱旋帰国したあとは、場外の敵に飛び込む新技「ドラゴン・ロケット」でさらに多くのファンの心をわし掴みにし、ジュニアヘビー級で一時代を築いた。1982年のヘビー級転向後は「ドラゴン・スリーパー」、宿命のライバル・長州力の必殺技「サソリ固め」を盗む「掟破りの逆サソリ」など、会場を沸かせる新技を次々に繰り出した。

 プロレスラーにとって必殺技は、自らの存在価値を示す生命線。誰もが自分の技を生み出すのに苦悩し、披露する時にどうインパクトを与えるかを考え抜くもの。67歳にしてその苦しみを乗り越えたことは驚異的だが、藤波にとって新技へのトライは「自分への挑戦」だった。12月20日に川崎市内で開かれた、2冠戦の調印式で藤波はこう明かしていた。

「ジュニアのころにマディソン・スクエア・ガーデンで、ぶっつけ本番でドラゴン・スープレックスを出して以降、いろんな"ドラゴン"と名がつく技ができましたが、ふと『デビュー50周年を機に新技を考えよう』と。これから先も現役を続けるうえで、自分のテンションを上げるために新しい技にチャレンジしたい」

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