「延期になってから、ケンカも増えて...」。川井梨紗子が語った姉妹で金への苦しかった道のり (3ページ目)

  • 松瀬 学●文 text by Matsuse Manabu
  • photo by JMPA

新型コロナの影響で1年延期となった東京五輪。国際大会の派遣中止が続き、実戦から1年半ほど遠ざかった。でも、姉妹はそろって外に走りにいったり、技を確認しあったり。「ひとりじゃないから、コロナの自粛期を乗り越えられた」と川井梨が述懐したことがある。

 ふたり並んでの記者会見。カメラのフラッシュに胸の金メダルが光り輝く。姉は「ほんと友香子なしではここにいられなかった」としみじみと漏らした。

「今まで、自分が姉なので、友香子のことを引っ張らなきゃとか、自分がしっかりしなきゃとか思ってきたんですけど、今回、友香子の試合が先で、気づいたら、自分が友香子の試合で背中を押されていて、あぁ自分のほうが支えられていたのかなって。感謝の気持ちでいっぱいです」

 ふと見ると、隣の妹は目に涙をためていた。「え~、泣いてる」と姉がちゃかした。

 今度は妹の友香子が言った。「やっぱり、梨紗子がいなきゃ、ここにはいられなかったと思います。"お姉ちゃんは世界一強いな"って改めて思いました」

 リオ五輪から4年と延期1年の5年間。一番大変だった時期は?と聞かれると、川井梨は「大変じゃなかった時はないです」と言って、記者を笑わせた。

「ほんと延期になってから、ケンカがちょっと増えて、ほぼほぼ殴り合いのケンカをしたこともあって。自分的には一番、苦しかったというか、しんどいなと思いました」

 けんかの原因はレスリングの技のことや練習メニューなど些細なことだった。

 妹はこう、続けた。

「梨紗子と同じで、大変じゃなかった時がないんですけど。ずっと苦しかったんですけど、それも全部、今日の日のためにあったんだなって思います」

 世界一の姉妹が一緒に笑う。ふたりは、会場近くのホテルに泊まり、テレビ観戦した両親にも感謝する。川井梨は言った。

「レスリングをするきっかけを与えてくれて、レスリングを教えてくれて、ほんと感謝しています。ここにくるまで、家族のほうが苦しいことがあったんじゃないかって思います」

 元レスラーの両親がいる。だから、五輪金メダリストの姉妹がいる。強くあり続けた姉と、強くなった妹。天賦の才に幸運が重なった。家族にとって、この日が「姉妹金メダル記念日」となった。最高の一日だ。

 どうしても、2024年パリ五輪の話題も出る。3大会連続金メダルを目指しますか、と直球の質問が出た。

 川井梨は少し笑った。

「(決勝戦が)終わった瞬間、"あぁレスリングは最高だな"って思ったんです。だから、やめられない。また帰って、練習するんだろうなって思いました」

 もうこうなったら、新たな目標は、パリ五輪でも『姉妹そろって連続金メダル』ってどうだ。姉妹の"夢物語第二章"が始まる。

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