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伝説のレスラー谷津嘉章が語る「最強の3人」ジャンボ鶴田の順位は? (3ページ目)

  • 井木 康文 ●取材・文 text by Iki Yasufumi
  • photo by DDTプロレスリング/アフロ

第2位:「日本人レスラー最強」ジャンボ鶴田!!

日本人最強レスラーの呼び声高いジャンボ鶴田 photo by 平工幸雄/アフロ日本人最強レスラーの呼び声高いジャンボ鶴田 photo by 平工幸雄/アフロこの記事に関連する写真を見る

「タッグパートナーとして組むことが多く、皆さんもそのイメージがお強いかもしれませんが、対戦相手としてのジャンボ鶴田選手はやはり手強いです」

 2位は日本人最強レスラーとして呼び声が高いジャンボ鶴田だ。多くのプロレスファン同様、谷津もその評価に関して異論はないようだ。

 谷津とジャンボ鶴田は共に五輪選手だったことから"五輪コンビ"として全日本プロレスの黄金期を代表する名タッグであったが、全日本プロレスへ移籍する前のジャパンプロレス時代は長州力とタッグを組み、天龍・鶴田の"鶴龍コンビ"と対決することも多かった。

「ジャンボ鶴田選手との最初の交わり方が、ジャパンプロレスという"外敵"だったこともあり、かなり強烈に攻められた記憶があります。また、こちら側がどれだけ攻めてもカウント2で『ヒョイ』とカバーしている選手を投げ飛ばしてしまうスタミナもありました」

 また、プロレスファンが噂する「ジャンボ鶴田最強説」については、以下のように補足をした。 

「実力に加えて、あまり自分をアピールしない性格が、逆にファンの方には本当に強いのはジャンボ鶴田だという印象を与えていたのだと思います。セールスしないことがセールスにつながったと言いますか」

 一方で、ジャンボ鶴田との対戦では果たせなかった想いもある。

「ジャパンプロレスvs全日本プロレスという戦いの図式ではなく、自分が全日本プロレスに生え抜きとして入団したうえで、ジャンボ鶴田選手と対戦していく流れであれば、また違ったプロレスを展開できたのではないかと思います。もしくは、SWSに行かずに全日本プロレスに留まっていれば、五輪コンビを経たうえで、違う形での谷津vsジャンボ鶴田の試合をお見せできたかもしれません」

 90年に谷津は全日本プロレスを離れSWSに入団。一方のジャンボ鶴田は92年頃から闘病をしながらのスポット参戦となり99年に引退し、翌00年に他界してしまった。すでに果たせない勝負となってしまったが、プロレスファンとしてはぜひとも観てみたかった「ifのストーリー」だろう。

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