2020.01.22

内柴正人はアテネ五輪柔道66kg級金メダル
獲得になぜ感動できなかったのか

  • 折山淑美●文 text by Oriyama Toshimi
  • photo by PHOTO KISHIMOTO

PLAYBACK! オリンピック名勝負―――蘇る記憶 第18回

いよいよ今年7月に開幕する東京オリンピック月。スポーツファンの興奮と感動を生み出す祭典が待ち遠しい。この連載では、テレビにかじりついて応援した、あのときの名シーン、名勝負を振り返ります。

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 2004年アテネ五輪の男子柔道で、60kg級から66kg級に階級を上げたばかりの内柴正人が獲得した金メダルは、人々を驚かせた。なぜなら、五輪では65kg級だった84年ロサンゼルス大会で優勝した松岡義之以降、世界選手権でも93年の中村行成以降、日本人選手はこの階級で金メダルに届いていなかったからだ。

アテネ五輪男子柔道66kg級で金メダルを獲得した、内柴正人 国士舘大学2年生だった99年当時から内柴は60kg級王者の野村忠宏を追う存在と注目され、野村が休養していた02年には全日本選抜柔道体重別選手権を初制覇。アジア大会では3位を獲得した。11月の講道館杯全日本柔道体重別選手権では優勝こそ逃したが、これが復帰戦だった野村を準決勝で破り、頂点を狙う状況は整ったかに見えた。

 だが、世界選手権大阪大会の最終選考会となった03年全日本選抜選手権では、減量に失敗して体重オーバーで失格。戦わずして敗れ、世界選手権代表は野村の手に渡った。

 失格したその日に、内柴は全日本の斎藤仁ヘッドコーチや担当コーチと「階級を変えて頑張る」と約束した。だが本心では、60kg級への未練もあった。

「気持ちは乗らないし、柔道界にいること自体もつらかった。『次に野村に勝つのは誰だ? 俺だろう』と自信をつけていたのに、勝負の舞台にさえ上がれないで終わったわけですから。国士舘大の学生に会うのもきつかったですね。自分は60kg級から逃げたんだ、という気持ちも強く、地元に帰ろうかとも悩んでいたし、66kg級に上げても本気でやる気にならなかったんです」

 それでも3月に結婚したばかりの妻といると、「この人に悪いことをしたな。どうして喜ばせてやろうかな」と思った。そう考えると、もう一回ひのき舞台に立ちたい気持ちが強くなった。「強化選手からも外されて、ただの柔道好きの一般人になっていたから、そこからスタートして五輪を目指すのも面白いんじゃないかと思った」と笑顔を見せた。