【国際プロレス伝】鉄人ルー・テーズは
一発でグレート草津を失神させた

  • 宮崎俊哉●取材・文 text by Miyazaki Toshiya
  • photo by Nikkan sports/AFLO

【第35回】アニマル浜口が語る「国際プロレスとはなんだ?」

 74歳まで6000試合を戦い、タイトルを総ナメ――。正統派のストロングスタイルを貫き通しながら、伝家の宝刀バックドロップをはじめ、数々の得意技で観客を沸かせた「鉄人」ルー・テーズ。力道山、ジャイアント馬場、アントニオ猪木、そしてグレート草津などと戦い、日本プロレス界に多大な影響をもたらした不世出の名レスラーへの想いをアニマル浜口が語る。

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腕相撲をとるルー・テーズ(左)と力道山(右)腕相撲をとるルー・テーズ(左)と力道山(右)「鉄人」ルー・テーズ(1)

「『ルー・テーズ=鉄人』『カール・ゴッチ=神様』と日本では呼ばれていますが、僕にとってはテーズさんも『神様』です。もちろん、プロレス史に燦然(さんぜん)と輝く強さと人気、そして74歳まで戦い続けたキャリアの長さは間違いなく『鉄人』なのですが、威厳や品格はゴッチさんと同じものがあり、プロレスラーとしてのオーラというか、まさに後光が差していて眩(まばゆ)いばかりのスターでした」

 1916年、ルー・テーズはハンガリー系移民の靴職人の子として、アメリカ・ミシガン州バナットで誕生した。2年後、一家はミズーリ州セントルイスへ移住。幼いころから自宅でレスリング選手だった父の指導を受け、プロレスラーの公開練習や試合にも連れていってもらっていた。

 ルー・テーズは自著『鉄人ルー・テーズ自伝』(訳・流智美/講談社+α文庫)で、父から「優れたレスラーには三つの不可欠な要素がある。それはスタミナと力と反射神経である」と、よく言われたと書いている。

「そのうち、反射神経だけは天性のものであり、努力によってどうにかなるということはない。だから、私に天性の反射神経を備えてくれた両親には感謝してもしきれないのである」

 ジュニアハイスクールを卒業したテーズは、父の仕事を手伝うかたわら、クリーブランドハイスクールのレスリング部に入部。さらには、プロレスラーの公開練習場であったビジネスマンジムでレスリングに打ち込み、セミプロを経てフルタイムのプロレスラーとしてデビューした。

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