2018.06.01

【国際プロレス伝】全日と契約しても
国際リングに上がったガニアの男気

  • 宮崎俊哉●取材・文 text by Miyazaki Toshiya
  • photo by AFLO

【第34回】アニマル浜口が語る「国際プロレスとはなんだ?」

 全日本プロレスと業務提携した後も、AWAを率いるバーン・ガニアは国際プロレスのリングに立ち続けた。アニマル浜口は「国際プロレスの吉原功(よしはら・いさお)社長との深い絆(きずな)を感じる」と振り返る。吉原社長とガニア、ふたりの共通点とは?

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1981年にはジャイアント馬場とタイトルマッチを行なったバーン・ガニア「AWAの帝王」バーン・ガニア(2)

「人間風車」ビル・ロビンソンと「AWAの帝王」バーン・ガニアの黄金カードが1974年11月20日、東京・蔵前国技館にて行なわれた。

 1本目は20分48秒、ガニアがスリーパーホールドで先制。すると2本目は15分21秒、ロビンソンがワンハンド・バックブリーカーで獲り返す。そして3本目は、両者タックルの相打ちでダブルKOとなり痛み分け。結果、ガニアの王座防衛で幕を下ろしたのだが、「史上最高の外国人対決」と称されたこの試合は国際プロレスだけでなく、日本プロレス界の名勝負として今も上位にランキングされている。

「(この試合は)得意技や必殺技の応酬でね。息つく暇もない熱戦でした。試合が終わると、観客全員がスタンディングオベーション。あの熱狂は今でも思い出しますね」

 国際プロレスとの契約が切れた1975年以降、AWAは全日本プロレスと提携。ガニアは1976年3月10日に東京・両国日大講堂で行なわれた「ジャンボ鶴田試練の十番勝負・第一戦」に出場した。さらに1981年1月18日には東京・後楽園ホールの「ジャイアント馬場3000試合連続出場突破記念試合」で、PWF世界ヘビー級王座を保持する馬場と自身のAWA世界ヘビー級王座をかけて対戦し、3本勝負の結果、引き分けている。

 だが奇妙なことに、その全日本に参戦中もガニアはニック・ボックウィンクルなどを引き連れ、国際プロレスにスポット参戦していた。1980年3月31日には、国際プロレスのリングに上がるようになったばかりの大木金太郎がニック・ボックウィンクルのAWA世界ヘビー級王座に挑戦している。