【国際プロレス伝】マイティ井上は、アニマルが尊敬するナニワの先輩 (3ページ目)

  • 宮崎俊哉●取材・文 text by Miyazaki Toshiya
  • photo by Nikkan sports, Sano Miki

マイティ井上との思い出を懐かしそうに語るアニマル浜口マイティ井上との思い出を懐かしそうに語るアニマル浜口 1967年3月25日、井上はナニワトレーニングセンター仲間であり、ヨーロッパやアメリカ、カナダで日本人ヒールとして暴れていた藤井康行とともに国際プロレスに入門。同じくボディビル界からスカウトされ、前年11月に入門していた小林省三――のちのストロング小林とともに、先輩のマティ鈴木に鍛えあげられた。

「マティ鈴木さんというのは、ヒロ・マツダさんの日体荏原(えばら)高校の後輩でしてね。吉原社長と一緒に日本プロレスをやめて、国際プロレスを旗揚げされた方です。井上さんは相当、みなさんに厳しく指導されたでしょうね」

 浜口が想うように、そこがマイティ井上のプロレスラーとしての原点なのかもしれない。

 高校で柔道に打ち込んでいた井上は、入門前から受け身には自信があり、同年7月21日、18歳ながら名古屋・金山体育館でデビューを飾った。対戦相手は仙台強(せんだい・つよし)――のちの大剛鉄之助(だいごう・てつのすけ)である。

 前座から中堅へと着実に成長していった井上は、1970年8月、ストロング小林とともにヨーロッパ遠征に出発。その途中、国際プロレスのビッグイベント出場のために一時帰国したことはあったが、1972年10月まで2年以上にわたってヨーロッパ各地を転戦した。

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