【国際プロレス伝】マイティ井上は、アニマルが尊敬するナニワの先輩 (2ページ目)

  • 宮崎俊哉●取材・文 text by Miyazaki Toshiya
  • photo by Nikkan sports, Sano Miki

『大阪学院大学高等学校を卒業後、国際プロレスに入門』。マイティ井上――本名・井上末雄(いのうえ・すえお)のプロフィールにはそう書かれることも多いが、事実は異なり、本人は「本当は高校中退なんだよ」と語っている(ベースボール・マガジン社『忘れじの国際プロレス』より一部引用)。

「とにかくプロレスが好きで、プロレスをやりたくてね。俺が子どものころは力道山全盛期だったから。親父に力道山の試合に連れていってもらって、生で観て『スゲェ』と思ってからずっとですよ。それで、ナニワトレーニングセンターで身体を鍛えるようになって、荻原会長に『プロレスラーになりたい!』って言っていたわけですよ。

 そうしたら、会長が『吉原さんに話してやるから』となったんだけど、国際プロレスは1966年の10月にもう旗揚げしているでしょ。高校卒業まで待っていたら1968年の春になっちゃって、もう入門テストとかやっているかどうかわからない。そう思って、高校2年の終わりに中退したんです。

 ところが1年後、高校から『卒業式に来てくれ』と連絡があってね。『プロレスでがんばっているから、卒業ということにしてあげる』と。それで、卒業証書をもらったんだけど」

 ギスギスした世知(せち)辛い今日から見れば、ほのぼのとした大らかな時代だった、ということか。

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