【国際プロレス伝】「チェーン・デスマッチの鬼」がリングから消えた日 (5ページ目)
僕は69歳となり、数えで70歳。古希を迎える今も、『アニマル浜口トレーニングジム』で会員さんたちを指導させていただき、『浜口道場』では娘・京子をはじめ、プロレスラーや格闘家を目指す若者を教えています。最近つくづく思うのは、自分のなかには吉原社長の教えや、国際プロレスで一緒に戦った先輩や仲間たちの想いが生きているということ。だからこそ、こんなところでくたばるわけにはいきません。
1987年8月20日、東京・両国国技館で『この四角いリングのなかに私の人生がありました。青春がありました! ありがとう、プロレス! さようなら、プロレス!』と叫んで引退した僕は、自分を育ててくれたプロレス界に、スポーツ界にまだまだ恩返しをしなければ。
やりますよ! 『精神爽奮(そうふん)、病去る』『旺盛な生命力、活力、気魄(きはく)』をもって、アニマル浜口は100歳はおろか、200歳まで生き続ける!
『宝の山が降りてきた! ワッハハ♪
あなたも笑えば、のびる、のびるよ、寿命がのびる。
オレは生きるぞ、200歳。
気合と笑いのコラボで生きてやる♪』」
(つづく)
【連載】アニマル浜口が語る「国際プロレスとはなんだ?」
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