【国際プロレス伝】「チェーン・デスマッチの鬼」がリングから消えた日 (4ページ目)

  • 宮崎俊哉●取材・文 text by Miyazaki Toshiya

 ふと、ベッドの端に目をやると、布団から草津さんの足がはみ出しているのが見えたんです。大きな足でね、厚くて、大木の根っこみたいでした。『この足で、この人はラグビーのグラウンドを駆け回り、プロレスのリングで暴れ回ったんだな......』って思ったら、なんか妙にジーンときましたね。

 人間には相性というものがあるじゃないですか。合うか、合わないか。人生において何でも言える間柄なんて、何人もいないですよね。草津さんと日本やアメリカの各地でともに過ごした思い出が走馬灯のように甦ってきて、『あぁ、この人と居酒屋でまた呑みたいな。夜が明けるまで』なんて思いました」

 その後、肺などにもガンが転移した草津は、2008年6月21日、多臓器不全のため死去――。享年66歳だった。

 ちなみに、父親の看病のために格闘家としての活動を休止していた賢治は、2008年11月21日に「SKULLSHIT presents SKULLMANIA Vol.2 ~グレート草津FINAL~」に出場する。正道会館の先輩・中迫強と対戦し、サプライズ登場した武蔵ともスパーリングを行ない、引退した。

「吉原功社長が55歳、グレート草津さんが66歳、ラッシャー木村さんが68歳......。僕にとって大切な恩師や先輩たちが次々と亡くなられました。今の日本人の寿命からしたら、若すぎる歳ですよね。もっと長生きして活躍してほしかったし、『ハマ、この野郎!』って怒ってもらいたかった。

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