【国際プロレス伝】「猪木、馬場より実力は上」と鉄人ルー・テーズも認めた

  • 宮崎俊哉●取材・文 text by Miyazaki Toshiya
  • photo by Nikkan sports/AFLO

【第7回】アニマル浜口が語る「国際プロレスとはなんだ?」

「金網デスマッチの鬼」と呼ばれたラッシャー木村は、オックス・ベーカー戦でノックアウト勝ちを飾るも、左足を複雑骨折して入院。後輩のアニマル浜口は木村の見舞いに何度も訪れ、それがキッカケとなって人生の伴侶と出会うことになった。一方で、国際プロレスはエース格のストロング小林の退団により、新たな時代へと突入していくことになる。

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国際プロレスのマットでも活躍した鉄人ルー・テーズ国際プロレスのマットでも活躍した鉄人ルー・テーズ

国際プロレスのエース・ラッシャー木村(2)

 1971年3月2日、ラッシャー木村はギブスを付けたまま、東京体育館で行なわれたザ・クエスチョンとの金網デスマッチに強行出場した。試合は22分17秒で木村がノックアウト勝ちを遂げると、以後も金網デスマッチのシングル戦で負け知らず。「金網デスマッチの鬼」と呼ばれるようになる一方、1974年にストロング小林が離脱してから1981年に国際プロレスが崩壊するまで、エースとして活躍し続けた。

「小林さんが国際プロレスを退団したのは、僕が最初の海外遠征から帰国して、半年ほど経ったときでした。複雑な事情は僕にはわからなかったですけど、小林さんが新日本に行ってしまって、正直、国際はガタガタッと落ちてしまいました。TBSが放送していた時代はよかったのに、それも打ち切りになってしまって。その後、東京12チャンネル(現・テレビ東京)の中継番組がスタートしましたので、レスラーみんなで結束してがんばりましたよ。

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