【国際プロレス伝】反則負けのデビュー戦。新人がいきなりやらかす (2ページ目)

  • 宮崎俊哉●取材・文 text by Miyazaki Toshiya
  • ベースボール・マガジン社●写真

「浜口は身体が十分にできあがっているから、ある程度の技を身につけさせればデビューさせられる」

 そう見込んだ吉原は自ら、文字どおり手取り足取り、レスリングを叩き込んだ。

「社長に呼ばれてリングに上がると、パパッとバックに回られて、足を極(き)められて、手を取られて、簡単にマットに組み伏せられた。最初は大人と子どもみたいなもんでしたよ」

 吉原は早稲田大学レスリング部出身。1952年のヘルシンキオリンピックで石井庄八(フリースタイル・バンタム級)に戦後日本初の金メダルを獲らせ、1964年の東京オリンピックでは金メダル5個を量産させるなどして"日本レスリングの父"と呼ばれた八田一朗が創設したレスリング部で鍛えられた。レスリング出身の日本人プロレスラー第1号だ。

 また吉原は、力道山が大相撲の関脇からプロレスに転向したことから相撲出身者で固められていた日本プロレスに、初めて本格的なレスリングの技術を導入した男でもある。現役時代は短く、日本プロレスでも引退後は取締役営業部長を務めるなどフロントとして働き、もちろん国際プロレスでは選手としてリングに上がったことはなかったが、浜口が入門したときはまだ39歳。技術力の高さは、プロレス界随一だったろう。

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