2012.07.29

【柔道】平岡拓晃、北京の呪縛を解き放ち
病気の母に捧げた銀メダル

  • 柳川悠二●文 text by Yanagawa yuji
  • photo by JMPA

決勝で敗れたものの、ロンドン五輪で日本人メダル獲得第1号となった平岡 金メダルに届かなかった無念は残る。しかし、ようやく北京の呪縛から解き放たれた平岡拓晃(了徳寺学園職員)は、表彰台にあがる頃には吹っ切れた表情に変わっていた。

「この4年間、ずっと我慢してきた自分のためにも金メダルを獲りたかったんですけど......。今、僕がここに立っていられるのは、4年前に『何で平岡を出したんだ?』と言ってくれた人のおかげ。すべての人に感謝したい」

 2008年――それまで五輪を3連覇していた野村忠宏との代表レースを制して北京の畳にあがった平岡は、わずか5分間で戦いを終えた。アメリカの無名選手を相手に技が出ず、何もできないまま優勢負けを喫した。ふがいない自分に落胆し、動揺を隠せない中で、ようやくはき出したのがこの一言だった。

「あっという間に試合が終わってしまった。この悔しさは、4年後のロンドンでしか晴らせないと思います」

 北京五輪は、母・雅子さんとともに戦った舞台でもあった。雅子さんは当時広島から上京して息子と同居し、減量に苦しむ平岡の食事を支えた。北京の地で、応援メッセージがいっぱいに書かれたTシャツを着て「私も一緒に戦います」と語っていた母は、1回戦負けに終わると「申し訳ございませんでした」と報道陣に向かって深く頭を下げた。帰国後、その母に乳がんが見つかる。平岡は母の病気も、北京の惨敗に原因があるのではないかと自身を責めた。

 この4年の日々は、北京の呪縛との戦いでもあった。「屈辱の一日」が書かれた記事を自室に飾り、その記事を読み返しては悔恨の思いを柔道にぶつけた。結婚し、愛娘が生まれ、柔道以外に守るべきものができたことも平岡の背を押した。稽古に精進するだけでなく、「金」にあやかろうとゴールド色の手帳を持ち、缶コーヒーも『金の微糖』を愛飲した。缶コーヒーにもすがる気持ちで、金メダルだけを目指したのだ。