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【柔道】念願の五輪初出場。
「ポスト谷」福見友子が歩んだ苦闘の10年 (2ページ目)

  • 松瀬学●取材・文 text by Matsuse Manabu
  • 中村博之●撮影 photo by Nakamura HIroyuki

 邪心が消えた。組み手を研究し、技の連続を意識した。とくに足技から得意の寝技への移行がスムーズになった。年明けのマスターズ大会決勝で浅見を下し、2月のグランドスラム・パリ大会で優勝した。消えかけていた五輪ロードに少し光がさした。

 とはいえ、五輪レースは世界選手権2連覇の浅見がリードしていた。さて、この最終選考会となった選抜体重別選手権。その浅見が初戦で不覚をとった。波乱である。

 福見は動じなかった。「誰が決勝に上がってきてもいい。敵を見るより、自分の柔道を出すことが大事だった」。2試合連続の一本勝ちで勝ち上がった。

 決勝の相手は、浅見を倒した高校生の岡本理帆だった。延長戦を含め、8分間の死闘だった。意地と勢い。福見は相手のうるさい奥襟を組手争いでうまく防ぎ、足技で揺さぶった。旗判定に持ち込まれた。

「強い気持ちで(結果を)待っていた」。福見の勝利を告げる白旗が3本、そろった。「その瞬間、"あ~あ、一本で勝ちたかったな"と思った」と振り返る。

 優勝インタビュー。「オリンピックで金メダルをとりたい」と宣言した。実はそれでも五輪代表への不安はあった。3時間後。晴れて、五輪代表に決まった。

「気が引き締まる思いでした。まだ自分には甘さがある。オリンピックで金メダルをとるため、死ぬ気で、もっともっと頑張りたい」

 どちらかといえば、負けることで成長してきた柔道人生だった。「特にこの4年間はすごく濃かった」。ただ諦めなかった。48kg級は谷亮子が前回の北京五輪まで5大会連続でメダルを獲得してきた。48kg級代表の重みは。

「自分自身の人生だし、自分は、まあ、初出場なので、ただこのオリンピックで勝ちたい。その気持ちだけです」

 もう「ポスト谷」とは言わせない。福見は福見である。ロンドンで金メダルを獲って、もっと光を浴びるのだ。

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