2012.05.14

【柔道】念願の五輪初出場。
「ポスト谷」福見友子が歩んだ苦闘の10年

  • 松瀬学●取材・文 text by Matsuse Manabu
  • 中村博之●撮影 photo by Nakamura HIroyuki

女子48kg級で優勝し、念願の五輪代表となった福見友子 目がくらんだ。

 優勝を決めた直後のカメラのフラッシュ、ロンドン五輪代表会見場でのテレビカメラのスポットライト……。女子48kg級五輪代表となった福見友子はふと、10年前の福岡を思い出していた。

「まぶしいな。初めて田村さんに勝った時のような感じだなって」

 10年前とは2002年4月の全日本体重別選手権。高校2年生の16歳で、当時、国内無敵だった谷(当時田村)亮子を破った時のことである。あれから10年。「ポスト谷」の看板を背負い、もがき苦しんできた。

 鉄火の柔(やわら)の道。26歳は顔をほころばせた。

「いろんな思い出がある。何度も崖っぷちを回ってきた。でも、立ち止まらず、諦めずに前に進んできた。遠回りしたけど、それが自分の柔道人生だったんだな、と思う」

 5月13日の日曜日。福岡国際センター。全日本選抜体重別選手権。女子48kg級は五輪で優勝するより、日本代表になるのが難しいといわれるクラスである。

 かつては、ずっと谷亮子が君臨してきた。そして、最近は2つ下の浅見八瑠奈が急成長してきた。何度、煮え湯を飲まされてきたことか。5年前は、世界選手権の最終選考会で出産から復帰してきた谷亮子を再び破ったが、代表切符は谷に奪われた。泣いた。

 4年前の五輪最終選考会ではよもやの初戦敗退に終わった。絶望、ケガ、焦燥……。でも、そんな時、家族や周囲の人々に励まされ、踏ん張ってきた。

 09年、どん底から這い上がって、世界選手権の王者となった。が、10年、11年と世界選手権では浅見に優勝をさらわれた。「心が折れた」。自問自答する。「やはり、このまま終わるのは悲しい。自分に正直に、自分の柔道をとろう」と気持ちを整理した。