【女子バレー】石川かほくの川﨑鈴奈が「怖かった」最後の春高バレー 大学でアウトサイドヒッターに転向してトップリーグへ (2ページ目)
「伝統校で、人間的に学ぶことが多かったですね。自分のためになることだという確信があったので、『多少は厳しくてもしょうがない』と思いました。どっちかというと、バレーの練習のほうが楽でした(笑)」
中高6年間、同じ釜の飯を食ったバレー部の部員はみんな同じクラス。川﨑は高校から寮に入ったが、濃密な時間を過ごした。
「"家族愛"じゃないけど、安心できて、わがままを言える関係でした」
川﨑はそう振り返る。オフはチームメイトと連れ立ってスターバックスに行き、新作を注文した。高校生には高級だったが、つかの間の"青春"を楽しんだ。みんな長身で短髪だったので、目立っていたという。
【大学でポジションを変更】
「今でも『緑が似合う』と言われます」
八王子実践の緑のユニフォームを着て戦った時代は、彼女の軸となっている。高校3年時には、キャプテンとして集大成の戦いに挑んだ。
「高2の時の春高バレーは全国ベスト4だったので、(頂点を目指すために)3年の春高予選は負けられなかったですね。その年はインターハイも行けなかったですし、かなり緊張していました。人生で一番怖かったです」
彼女は修羅場をくぐり抜けた。春高の本戦へと進み、インターハイで優勝した就実高校(岡山)も下してベスト8に進出している。
「とにかくホッとしました。インターハイに続いて春高も出られなかったら、それまでやってきたものが信じられなくなっていた。それが怖かったです」
準々決勝で古川学園(宮城)に敗れたが、全員が力を出しきった。悔しさで涙を流しながらも、顔つきはすっきりしていたという。
「ネットにボールが当たったら、全部スパイカーのせい」
彼女はバレー部の教訓に従った。「どうにかしなきゃ」と悩みながら、解決策を探ってきた。いつだって「やってやる」という覚悟が彼女の力を引き出した。
そして、転機を迎える。国士舘大学で、ミドルブロッカーからアウトサイドヒッター、オポジットに転向した。
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