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【男子バレー】広島サンダーズの髙梨海輝が振り返る、最後の春高バレー前の転機 コロナ禍でつかんだ「跳んで叩く感覚」 (2ページ目)

  • 小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki

【コロナ禍でつかんだ成長の手応え】

 大阪の名門、清風高校ではミドル一本に絞ることになった。長身を生かせるポジションだ。

「中学とのギャップで、無茶苦茶しんどかったです!」

 髙梨の声が少し大きくなった。落ち着いた印象だが、冷たい感じはしない。端正な顔つきで実直な印象だ。

「練習時間も長くて、すごく走るし、スパイクを打ち続ける練習もきつかったです。ついていくだけで必死でした。周りは推薦で入った子ばかりだったので、差を感じましたね。スパイクも、(中学から)ネットの高さが変わったので全然打てない。サーブも入らないし、『意味がわからない!』って感じでした」

 それでも、やめることは考えなかったという。

 自分にできることはバレーだけだ――。そう腹を括っていた。

「『やるしか道はない』って思っていました。親にも相談はしませんでしたね。高1の時はほとんど試合に出られませんでしたが、高2の最後からちょっとずつ試合に出させてもらえるようになりました」

 その後、転機が訪れた。世間はコロナ禍で逆風が吹いていたが、彼はそれを追い風にしたのだ。

「高3の時はコロナ禍で、全国大会が春高しかなかったんです。国体もインターハイもなくて、練習できない期間もありました。各自で走り込む感じだったんですが、自分は毎朝走っていました。ひとりだとサボっちゃうので、近くに住む幼馴染を誘って。しっかり感染対策もして、朝8時から5キロくらいランニングしたり、黙々と体を動かしていました。

 そのあと練習が再開した時に、自分でも驚くほど急に"跳んで叩く感覚"がわかってきたんです。そこからスパイクを打つのが楽しくなり、得意のプレーを作ることができました」

 春高でもその成果を発揮し、チームを3位に導いた。そして東亜大学でバレーを続けることになり、「バレーしかない」という覚悟はより強くなった。両親からは「大学で頑張っていたら、(SVリーグの)チームから声がかかるから頑張れ」と言われ、そのアドバイス通りに実績を積んだ。

 そして2025-26シーズンからSVリーグでプレーすることになった。トップリーグ 1年目、夢の一歩だ。

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