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ビーチバレー界のホープ「のあめい」が振り返る共栄学園時代「(秋本)美空は別世界の人になっちゃった」 (2ページ目)

  • 小崎仁久●取材・文 text by Kosaki Yoshihisa

――ビーチバレーボールと出会ったのはいつ頃でしょうか。

宇都木 中学生の時にちょうど新型コロナウイルスが流行っていて、友だちに誘われて2回ぐらいビーチをやりました。そうしたら、ビーチが楽しくて。それで、ちょうど(森)愛唯も始めていたから、高校に上がる時に「私もビーチをやりたい」と先生に話をしました。そこから本格的にやってみると、やっぱり面白くって。自分に合っているかどうかはわかりませんでしたが、試合に負けると悔しくて、もっとうまくなりたいなと思っていました。

 私が中学生の時に、先輩の「のあまゆ(衣笠乃愛&菊地真結)」さんがマドンナカップと国体で優勝して学校の広報誌に載ったんです。それで、高校ではビーチバレーができるんだと知って、やってみたいと思っていたら、中3の時に「やってみないか」と先生に言われて始めました。

宇都木「のあまゆ」さんが優勝した時の写真、覚えてるよ。部室にずっと貼ってあったもんね。優勝の副賞だったお米を持っている写真。

 そうそう。

宇都木 あの写真を見て「のあまゆ」さん、すごいな~って思った。

――高校時代はビーチとインドアの二刀流でしたが、ふたつの競技にうまく対応はできていましたか。

宇都木 ビーチからインドアへ変わる時はいいんですが、インドアからビーチに変わる時は大変だったよね?

 うまく跳べないし、ズボッと砂に埋まるし、空振りはするし......。最初は大変だったね。

宇都木 逆もあって、高1の夏にビーチからインドアに戻ってきたら、(コート内で)全然動けなくて「おまえたち、バカンスへ行ってきたのか!」と先生に怒られたこともありました(笑)。

 でも、ビーチをやることによって、インドアで高く跳べるようになりました。

宇都木 それに、視野も広がるよね。だから、インドアに戻ってきてコートに6人もいると、「(人が)多い!」って思ったりして(笑)。

ビーチバレー界での飛躍が見込まれる宇都木乃愛 photo by Fujimaki Gohビーチバレー界での飛躍が見込まれる宇都木乃愛 photo by Fujimaki Gohこの記事に関連する写真を見る

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