【男子バレー】小川智大が思う世界に勝つために必要なこと 「真剣にやる楽しさ」を見つけて世界屈指のリベロに成長 (3ページ目)
そこで、聞いてみたいことがあった。
――本当にバレーを"楽しい"と思ったのはいつですか?
「大学3、4年の頃です。大学は自由にやることができました。やらなかったら腐るけど、やったら少し成長があるって環境で......どうやってもよかったけど、腐るのは嫌だったんです」
小川は淡々と答えた。そうした問いかけには、幼少期の原点を語る選手が多いが、彼らしいロジックがあった。
「小学生の頃は厳しいなかでやっていて、"勝ちたい"という気持ちが勝っていました。"県大会で2位までに入って関東大会に出よう!"って。バレーをやらされていたわけじゃないし、小学生だから素直にそう思って毎日練習していましたけど......自分から『絶対に出たい』っていうよりも、監督やコーチが決めた『関東大会に出る』という目標が先だったんで」
小川はディテールをおざなりにしない。その正直さが"尖がって"いるようにも見える。
「大学では"真剣にやる楽しさ"を見つけられたんです。大学では同じリベロの先輩がいたんですが、自分が1年生の時の、4年生の主将でした。とにかくガッツがあり、毎日の練習をしっかりやり、しっかりしたアップからルーティンを組み、"こういう人になりたい"って思わせてくれた存在でした」
小川は実直さに倣うが、それこそリベロの資質なのかもしれない。大学卒業後に入団した豊田合成トレフェルサ(現・ウルフドッグス名古屋)でも、当時の日本最高のリベロだった古賀幸一郎が鑑になった。彼は出会いに感謝した。
初めて外国人指導者にも技術を教えてもらい、「一気にバレー観が広がった」という。積み重ねてきた技術が化学反応を起こした。そして、今や世界有数のリベロになった。
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