高校時代にバレーボール部で「自主性」を学んだ柳田将洋「一度も叱られた記憶がないんです」 (3ページ目)
【バレーボールが仕事になる概念がなかった】
――柳田選手はバレーボールをやめたいと思ったことはありますか?
柳田 バレーボール自体をやめたいと思ったことはありません。ただ、バレーボール中心の生活をやめようと思ったことはあります。高校時代、進路を決める時に、一般入試で大学を受けて、卒業後に就職しようと考えていた時期がありました。2年の進路相談の時も、勉強したい学部のある大学を候補に挙げて、その先にはどんな就職先があるのか調べたりしていました。
春高バレーで活躍したあとは、自分が受験しようと思っていた大学よりさらに行きたいと思える大学から声がかかったので、一般入試より「バレーを頑張って大学に行こう」と考え方が変わりました(笑)。
――当時は将来、バレーボールを職業にする選択肢はなかったのでしょうか?
柳田 はい。まず春高バレーで優勝する前は、僕は注目されていなかったんです。オリンピック(の強化)指定選手になるとか、いわゆる能力の高い選手が当然、通ってきたような道を経験していません。高校1年生の時に春高でベスト8入りし、初めて選抜チームに選ばれたのですが(※高校のオールスター戦)、そこで様々な県外の選手と会って変わりました。
都城工業高校の長友(優磨/フラーゴラッド鹿児島)などの有名選手と一緒に練習して、話をする機会があって、世界が広がりました。そのままユース代表にも選ばれたのですが、それでも「将来はバレーボールを仕事にしよう」とは思いませんでした。自分がVリーガーになるというイメージは描けませんでしたね。
今と違って日本代表の試合はこんなにテレビで見られなかったですし、Vリーグも有料チャンネルと契約しないと見られない。一度、東洋高校バレー部が東レアローズ(現・東レアローズ静岡)さんにご招待いただいて東京体育館の3階席から試合を見たくらいです。大学を卒業した先のカテゴリーをイメージする機会がありませんでした。そもそも当時はプロスポーツではなかったですしね。
だからバレーボールが仕事になるという概念がありませんでした。結果的に大学卒業後はサントリーサンバーズに入団したのですが、社員として雇用してもらいながらバレーボールができるというのも、入団のお話があった時に初めて知ったくらいです。
つづく
後編>>部活動の何気ない日常「間違いなくあれば青春の一部でした」
Profile
柳田将洋(やなぎだ・まさひろ)/1992年7月6日生まれ。東京都出身。186㎝。アウトサイドヒッター。2023年から東京グレートベアーズ所属。東洋高校では、春高バレーに1年生で出場してベスト8。2年時に優勝を飾り、3年時もベスト4と成績を残した。慶應義塾大に進学後、全日本メンバーには大学3年で初登録された。2015-16シーズンにはVプレミアリーグで全試合に出場し、最優秀新人賞を受賞。2017年のプロ転向後、ドイツ、ポーランドと海外でもプレー。日本代表としては、2018年からキャプテンを務めるなど、中心的存在として牽引。直近では2023年の杭州アジア大会代表で、銅メダル獲得に貢献した。
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