高校時代にバレーボール部で「自主性」を学んだ柳田将洋「一度も叱られた記憶がないんです」 (2ページ目)
――東洋高校の北畠勝雄監督から影響を受けたことはありますか?
柳田 直接言われたことはないのですが、「自主性」は高校生の時に芽生えたと思っています。自分で考えてプレーすることの大切さを知って、それが当たり前になったのが高校時代です。「こういうプレーをしたい」「こういうバレーボールをしたい」といった目標を掲げて、それを実現するためにはどんな練習が必要か。自分たちで練習方法を考えたり、試合で試したりしていました。監督が「ああしろ、こうしろ」と強制しないので、勝つためにすべきことを当時、セッターだった関田誠大(サントリーサンバーズ大阪)などと一緒に話しながら練習していたのを覚えています。
――いわゆる「しごき」のような厳しい練習は経験しなかったのでしょうか?
柳田 まったくないですね。当時から僕は高校生なりに非効率、効率のことを考えて練習していました。たとえば練習量が多くて有名な学校の話を耳にすることはありましたし、大会期間には試合会場で他校の練習を目にする機会もありましたが、ワンマン(レシーブ練習)をやっている姿を見て「何の意味があるんだろう」と思っていたり......。「だったら休んで試合をしっかりやった方が効率いいよね」と冷めた目で見ていました。
――冷静だったのですね。では、東洋高でいちばん厳しかった練習は?
柳田 合宿での練習試合は体力的に厳しかったですね。午前中4セット、午後には5セットを行なうとか。でも、おそらく他の強豪校からすれば当たり前で、僕らはその「きつい」と感じるハードルが低すぎて(笑)、文句を言いながらやっていました。「この練習も、しっかり目的を持ってやらないと意味ないよな」とか「今、なあなあでプレーしているよな」とか......。練習試合に飽きて、モチベーションが落ちてしまうことも多々ありました。
――選手の自主性を育てようと監督が仕向けていた可能性も?
柳田 それはあるかもしれないですね。「自分で考えてプレーする」を習慣にするためには、おそらく監督からすればたくさん我慢が必要だったのではないかと今は思います。いろいろと言いたかったことがあるでしょうし、そこを我慢してくださっていた。監督には自分なりに考えて練習するきっかけを作っていただいたと思っています。
正直、一度も叱られた記憶がないんです。試合中にまったくスパイクが決まらなくて監督に呼ばれたことがありました。「さすがにこれは叱られるだろうな」と覚悟を決めて行くと「朝飯、食ったか?」と(笑)。「食べました」と答えたところ「そうか、頑張れ」と。それくらい何も言わない監督でした。
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